「由美さん」
俺は加工し終わった製品をトラックに積み込みながら、歩いていた由美さんに声をかけた。
いつものように少し濃いめの化粧が、まるで夜の蝶を連想させた。
いや、数年前に今の旦那と結婚する前までは、実際にスナックのホステスをしていたらしい。
この町内会の男連中を含め、いろんな男が由美さんを目当てに通っていた・・・そんな話を聞いたことがある。
そして おそらくその話は本当だろうと思わせるほど、由美さんは艶やかな魅力を振りまいていた。
首元のボタンまできっちりと閉めた黒いロングコートが、少し黒めの赤い口紅に似合っていた。
コートの裾からは黒いハイヒールを履いた 肉付きのいい白い足が覗いている。
「これから どっかいくの?」
「ただの配達だよ・・・由美さんこそ、今からどこかに?」
その手に鞄はなく、クリアファイルに入った書類を抱えているだけの由美さんに、おそらく目的地は近所だろうと思いながら聞いた。
「ただの お使だよ」
俺の言葉をわざと真似たのだろう。
人気者のホステスだった・・・という話の信ぴょう性が、こういう一言や動作に現れていた。
艶やかな雰囲気の笑顔で、目を見つめながら こういう悪戯をされると、アルコールが入っていなくてもドキッとさせられる。
そして由美さんは「『町内会の老害』からの頼まれごとよ」と、あの夜 俺が言った単語を使って説明を続けた。
あの夜、俺が使った単語が、あの夜の興奮を呼び起こした。
俺は静かに由美さんに近づく。
「・・・へぇ・・・大変だね」
「ちょっと・・・・ダメよ・・・・」
由美さんは俺の雰囲気の変化を敏感に感じ取った。
「・・・・ダメって・・・なにが?」
俺はそう言いながら、ゆっくりと近づいていく。
「・・・・だから・・・その・・・・・・ダメよ・・・」
困ったような、けれど艶やかな声で由美さんが言った。
両手で抱えるクリアファイルをギュッと握りながら、それでも逃げずに俺を見ている。
無言のまま、1歩ずつ由美さんに近づいていくと、由美さんは後ずさりした。
いや『後ずさり』というのは正確ではない・・・なぜなら由美さんは、簡単に逃げられる後ろではなく、横に移動したのだから。
俺の目を見つめながら、不安そうな顔をしながら、俺が道に停めたトラックと工場の壁の間に・・・道を通る車や人からは見えない場所に、じりっじりっと移動していった。
もしこれがワザとなら、なんて上手な女なんだろう・・・
その少し怯えたような表情さえも、俺を誘っているような気になってくる。
加虐的な感情が、心の底から湧き上がってくる。
「ダメじゃないだろう?」
由美さんの体が工場のブロックの壁に完全に隠れたあと、俺はゆっくりと右手を伸ばした。
「・・・・ダメよ・・・・ね?・・・・ダメ・・・」
そう言いながら、困ったように眉をすぼめた目で俺を見ながら、けれど由美さんは その両手で抱えているクリアファイルとコートの間に ゆっくりと差し込まれていく俺の手から 逃げようとはしなかった。
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