男は顔を近づけ小声で言った。
「よかったらこれから、そのクラブ会場に使っている場所に行きませんか。」
「ちょっと何の話でしょうか?さっぱり分からないですが・・・」
「そうでしょうな。だが、奥さんも何度か来ている場所ですよ。」
「俺の妻がですか?」
「はい。」
結局俺は男の言うままに、男の車でその場所に行く事になった。男は高級車を運転しながら
なぜか上機嫌だった。
「ワシはさっきの医院でEDの薬を出してもらっております。最近中折れしましてな。それでも週2、3回は今でもやっとります。
あ、自己紹介が遅れましたが、大城と言います。ホテル経営をしております。」
男はラブホテルの裏に車を停めた。妻と研修医が出て来た因縁のあるホテルだった。
「このホテルはワシが経営しておりますが、他に5箇所にホテルを持っております。」
男は話しながらラブホテルの職員通用口から俺を中に招き入れた。豆電球で照らされただけの暗く細い階段を不安な気持ち
で、俺は男の後ろについて行った。3階に上ると細い廊下を通って部屋の戸を開けた。男が真っ暗な部屋の電気を点けると、
そこはコの字型をした奇妙な空間だった。床は深紫色の絨毯が敷き詰められ、ソファーやテーブルが所々に置かれていた。
男が壁に掛けられた厚手の黒いカーテンを開けた瞬間、俺はあっと驚いた。壁にはガラス窓は設置されていて、
ホテルの一室が丸見えなのだ。男は説明し始めた。
「この窓はマジックミラーになってましてな、向こうの部屋からは鏡にしか見えんのです。ガラスは2重になっとるので、
こちらの音も聞こえません。右が浴室、正面がベッド横、左がベッドの頭側ですな。音は遮音しおるので、
コードレスイヤホンで隠しマイクの拾った音を聞くようになっとります。」
「ここであなたは俺の妻と間男のセックスを覗き見してたのですか?」
俺はたまらず言った。
「正確に言うとあの研修医が我々に見せていたわけですな。」
俺は頭が混乱して男の話が呑み込めなかった。
「すぐに理解できんのも無理はない。クラブについて説明しましょう。クラブというのは、この近隣の名士、お立場があって
風俗で遊ぶこともかなわんような方々の秘密クラブです。まあ、名前は言えませんが、聞いたらびっくりするような固い
お仕事の方々ばかりですな。」
以前俺は週刊誌で、有名人専用の女性派遣ビジネスがあるという記事を読んだことがあった。秘密は絶対に守られるが、
高額の料金を取られるのだ。俺は思わず聞いた。
「どうして俺の妻がそんなクラブに関係を持つようになったんですか?」
男は少し困った表情をしながら
「あなたがそう思うのは当然ですな。原因のひとつはあの研修医がどこからか話を聞いて、クラブに接近して来たこと、
もう一つは、奥さんの親の借金問題ですな。奥さんの父親はよからぬ所から金を借りていたようでしてな。」
俺はそんな話は妻から聞いていなかった。昔借りて大変だったと聞いてはいたが、今も借りているとは聞いてなかったのだ。
「奥さんはご主人に言いづらかったんでしょうな。」
俺の妻が俺に内緒で、親の借金の為とはいえそんな方法で金を稼いでいたとは。俺は動揺を隠しきれなかった。
「これだけは言っておかんといけないのですが、既婚者の女性だとはクラブの者も研修医から聞いておらんかったのです。後で調べて知ったのですよ。」
男は弁解していたが、正直、そんなことはどうでもよかった。
「何の慰めにもならんでしょうが、奥さんはあの研修医に恋愛感情は無かったのではないかと・・・」
俺はもう何が何だか分からなかった。男はそう言うが、温泉ホテルに泊りがけで行ったことは事実だ。
「俺、帰ります。」
俺は強い疲労感に襲われていた。男が車で送るというのを断って、タクシーを呼んで帰ることにした。
男は自分の名刺を俺の胸ポケットに押し込んだ。
「またご連絡します。あ、それとクラブ会員には、あなたがお勤めの会社の大株主もおりますので、どうかクラブの事は
くれぐれもご内密に。」
家に帰って心療内科で処方された精神安定剤を飲んだが、頭が混乱して心が落ち着かなかった。
仕事から帰った妻は俺の胃のことを心配して症状が無いか聞いてきた。
「そっちの方は大丈夫だ。」
夕食の時、俺は妻の顔をそれとなく見ていた。知り合って5年、俺の知らない秘密が妻にはまだ沢山あるのだろうか。
後で男から渡された名刺を見た。
「レインボーズ エンド ホテル グループ 会長 大城一郎 」
なるほど虹のふもとか。疲れのせいか薬が効いたのか、俺はベッドに倒れ込み、いつしか深い眠りに俺は吸い込まれていた。
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