妻の妊娠が確実になったのは、それから2か月ほどしてからだった。
問題は、その子が「先生」の子種なのか、AV男優の山本エレキテルの子種なのか、はっきりしない事だった。
妻はもともと30歳までには子供を産みたいと言う願望だったので、31歳の今、産むことの決心に迷いはない様子だった。
俺としても、どちらの子種だとしても受け入れて、父親として育てる覚悟ができていた。
「先生」の遺伝子なら勉強ができる子になりそうだし、山本の遺伝子なら美形で丈夫な子になりそうだった。
「先生」には無論、山本の存在は知らなかったから、自分の子種だと思っているようだった。
妻はもともと母性本能が強い女性だったらしく、子を身ごもるとそれまで強かった性欲が減退し、母親らしい姿に変貌した。
「先生」から夜の誘いがあっても断っていると言っていたし、出産が近づけば「先生」のクリニックも退職すると言っていた。
やがて、産まれて来る子が女の子であることが分かり、妻は言葉通り「先生」のクリニックを退職したのだった。
「先生」は妻に未練があったらしく、時々遊びに来てくれ、職場に戻る気になったらいついでも言ってくれと
妻に言ったようだが、子が成人を迎えるまでは「先生」とは距離を置くつもりだと妻は言っていた。
やがて妻は女児を出産した。俺はその子に「美結(ミユ)」と名付けた。
育つにつれて、美結は美形の女の子であることがはっきりしてきた。つまり、「先生」の子種ではなかった。
美結はおてんばでケンカが強く、なかなかのボス性格だった。美結は俺に凄くなついてくれた。
俺は子供のいる家庭がもてたことを心底喜んでいた。仕事から家に帰ると、疲れがみるみる癒されていくのが実感できた。
俺は毎日美結と風呂に入った。妻がそうすることを望んだのだ。時には3人で風呂に入ることもあった。
美結はしきりに俺の股間の形が、自分やママと違うことを質問してきた。性的な事に関心が強い子のようだった。
幸福な毎日が夢のように過ぎ去って行ったのだが、永遠に続くものではないことが分かったのは美結が小3の時だった。
妻は血液のがんになったのだ。多くの病気が治せる時代でも、中には薬が効きにくい病気もあるらしい。
妻は薬が効きにくいタイプの病気だった。診断がついてわずか3か月だった。
妻は俺と美結を残して旅立ってしまった。41年と6か月の人生だった。
俺と美結の二人だけの生活が始まった。美結は強い子だった。寂しい心を俺に見せないようにしていた。
どうかすると俺の方が美結に助けられ励まされていた。美結はある日、学校で起きたこんな話を俺に聞かせた。
授業で「生き物の命の大切さ」を扱ったらしい。女の先生が「自分の家で生き物が亡くなって悲しかった思い出」
を生徒一人一人に言わせたという。皆が順に「ペットの犬が去年亡くなって悲しかったです。」とか
「カナリアが2月に亡くなって悲しかったです。」というふうに自分の体験を話して行った。皆は犬とか猫とか小鳥とか
カブトムシなどの昆虫の話をした。ある男の子が自分の順番が来て
「僕のお父さんは、お酒に酔って道路を横切ろうとして交通事故で亡くなったのは悲しかったです。」
と言うと、生徒皆がクスクスと笑い出してしまったのだ。それを見て先生が叱ろうとして
「可笑しくありません!」
と言ったのだが、先生自身がうっかり吹き出しそうになり、笑うのを懸命に我慢しながら涙を流していたのだそうだ。
やがて美結の番が来てママのことを話すと、誰も笑わず真剣に聞いていたそうだ。
中学生になるとますます美結は美人になった。普通この年頃になると男親を避けるように娘はなるものだが、
相変わらず入浴は一緒だし、俺が寝ている布団にも入って来た。雑誌で読んだのだが、女の子は生理が始まると
生殖の準備として男を匂いで選ぶようになるらしい。それは自分となるべく違う遺伝子を生殖の相手に選ぶためだという。
遺伝子が近い実の父親や兄弟は失格なのだ。俺の場合は遺伝的には他人だったから、実の父親のように「臭い」とか言って
避けられることが無いのかもしれなかった。
風呂に入ると美結が俺の背中を洗ってくれた。俺も美結の背中や膨らみ始めた胸を洗ってやった。そうすることに
特に違和感はなかった。ある夜、美結が学校で性教育の授業があったと話し始めた。コンドームの説明がアニメのビデオ
を見せてあったらしい。美結が風呂で俺の背中をタオルで擦りながら言った。
「ねえパパ、コンドームの付け方、パパで練習していい?」
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