山崎さんの暴力的な快楽は、やはり私にとって『絶対』だった。
初めて知った『本物の男』で、初めて女としての悦びを教え込んでくれた男とゆう事実は、どんな男を与えられ何を経験しても、少しも変わらなかった。
求められればいつでも、どこででも応えた。
時間がないと言われれば駐車場に停めた車の中ででも奉仕した。
口の中で大きくなっていくのを感じただけで溢れるほど濡れたし、精液の味が口の中に広がりはじめただけでイキそうになる事もあった。
そして、そのまま抱かれる場所が公衆トイレの個室でも喜んで全裸になり、跨って腰を振り続けた。
射精が、私が気持ちよかった証のように感じるようになり、いつしか男が精液を出す瞬間を、それが山崎さんでなくても愛おしいと思うほど私を変えた。
指示があればあの3人の大学生に抱かれ、大学生が連れてきた友人にでも足を開いた。
待ち合わせ場所に現れたのがどんなに不潔な男でも、どんなに下品な男でも、全身を舐めて妊娠をねだった。
コレを報告したら、興奮してもらえるかもしれない・・・我を忘れて私を貪ってもらいたい・・・そう考えるだけで、誰の足の指でも舌を這わせた。
求められればお尻の穴もベロベロと舐めた。
篠宮の無機質な冷たい快楽は、『麻薬』のように私の心と体を蝕んだ。
必ず後悔して絶望したのに、火曜が近づくにつれクリトリスが疼いていった。
絶対に断つと心に誓ったのに、疼きが高まっていくのを止められなかった。
火曜になると、いつも朝から無意味なほど熱心に家事をしたが、洗濯を終えても掃除をしていても、どれだけ体を動かしても心がザワザワとしていた。
10時過ぎには震える体を抱きしめ、強く握った拳を噛んで耐えた。
けれど30分もしないうちにソレしか考えられなくなり、心が折れた。
木曜も、次の週の火曜も、そうやって心が折れ続けた。
たった数週間で折れるのがクセになり、家を出る時間が早まった。
さらに数週間が経つと、まだ休診になっていない産婦人科の待合室のソファーで、呼ばれる瞬間を待つようになっていた。
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