幸子さんは、近所の地主さんの奥様です。
幼い子供のの頃は、田んぼで夫婦仲良く作業をしていた。
忙しい時期には、近所の人を応援とした雇う。
うちの母親も、手伝いに行った。
幸子夫婦には、子供がなかなかできなかった。
僕を養子に欲しいと言われたほどに、親しみの人です。
お店を出てからは、幸子さんから幼い僕の思い出話をしながら歩いた。
勤務の人は、僕らの関係は知らない。
熟女と親切な青年と思っている。
「勇ちゃんも、立派な青年になったねぇ(^-^*)」
「お母ちゃんも、いつまでも元気でいてね。」
って話をしながら歩いた。
子供の頃は一般家庭には、お風呂の設置ブームの時代でした。
我が家は、蒔き方式のお風呂はあったので、ガスに変更にはしばらくたってからだった。
だから僕が、小学生までは幸子さんの家でお風呂を借りていたんです。
なんせ年上兄と共働きの両親は、夕方の帰宅なので
午後3時頃を僕独りぼっちです。
両親が、幸子さんの家に世話をお願いするんです。
だから僕は、息子みたいな存在なんです。
オムツつけているガキの頃からの母親がわりだった。
僕のちんこの成長も、幸子さんには見られてる。
幼い僕のおちんちんを、「かわいい(^-^*)」
って舐められた思い出もある。
まぁ母親としての愛情だった。
僕も思春期で、陰毛が生えた頃は照れてしまう。
「勇治お風呂に入るよ(^-^*)」って、下着姿になる。
シミーズとパンティー姿では、思春期の僕は少しずつ勃起する様になった。
「勇治のおちんちんは、おっきいねぇ(^-^*)
将来が、楽しみねヾ(´∀`ヾ)」ってちんこの皮を
剥かれて洗ってもくれた。
精通して、初めての射精も幸子さんとの一緒のお風呂の時だった。
興奮して、「うっ。」って、「お母ちゃんごめん。
オシッコしちゃた(泣)」って泣いた。
「勇治おめでとう。
もう立派な男になったねぇ(^-^*)」って喜ぶ。
その事件以来は、「もうガキじゃあねぇから、1人で入るよ(´ヘ`;)」って嫌がる。
毎回幸子の身体を見て湯船の中でも、射精してしまうんです(泣)
さすがに悩む。
「勇治も、そろそろお勉強かしらぁ?」
って女性の身体を教育してくれたのも、幸子さんです。
股を開きまんこの構造も、教えてもらった。
「ここに勇治のおちんちんを入れて精子を出すと、
子供ができるんです。
お嫁さん以外の女性とは、これをかぶせるのよ。」
ってスキンの装着も教わった。
僕の成長を見て、その時に手助けと悩みごとを解決してくれた。
勿論僕の童貞を捧げたのが、幸子母ちゃんです。
思春期には、同級生はオナニーしている頃に僕は違った。
幸子さんのまんこに生挿入の中だしをさせてもらった。
オナニーの経験より幸子さんとのセックスの方が、
多い。
幸子さん夫婦に子供ができたのは、その頃だった。
幸運な事に僕とは顔つきの異なるご主人の種の男の子だった。
なんせすごいごっつい顔つきです。
熊さん似のご主人にそっくりです(笑)
だから母乳を飲むセックスも、させてもらった。
でもにゴム装着のセックスに変わった。
若い僕の精子は、勢い良くてたっぷりだから危ない。
けれどもご主人が、一回り以上年上なのでセックスが少ない。
40歳頃は、女盛りの幸子さんと毎晩のセックスする方が多い。
中学生の頃から様々なテクニックを、教えて込まれてる。
社会人になってからも、彼女を作る気持ちにならない。
20歳なのに幸子さん以外の女性は、知らなかった。
それは幸子さんも同じです。
旦那さんと僕が、男だった。
お互いにセックスの相性は、バッチリなんです。
そんな時に、僕は会社の地方勤務になって実家を離れた。
数年後に両親が、他界してまた実家に戻った。
そんな環境なんです。
だから久しぶりの自宅におじゃまです。
お互いに期待してのタイミングです。
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