吉川麻紀は、自分しかいない自宅のリビングで溜め息をついた。
視線はテーブルの上に放り出された携帯に向けられていた。
いつまでも心臓が締め付けられ、高鳴っていた。
暑いはずはないのに、うっすらと汗ばみはじめていた。
そしてまた、さっき放り離したばかりの携帯に手を伸ばして画面を覗き込んだ。
時刻はまだ10時にもなっていなかった。
いつもと変わらない日常のはずだった。
旦那と子供を送り出し、ゴミを捨て場に運んだだけのはずだった。
いつもなら見ない、1階のロビーにある掲示板を見た。
いつもなら気にするはずのない、1枚の紙を見つけてしまった。
それはいい知れない違和感を感じさせる、ネットのアドレスが一行だけ書かれた 真っ白い紙だった。
そして いつもならするはずの無い、30文字を超えるアドレスを、無意識のまま携帯に入力していた。
それは掲示板のアドレスだった。
真っ黒い画面に、真っ赤な文字で『調教日記』と書かれていた。
住んでいるマンションの1階。
ロビーの真ん中に立ったまま、ページをスライドして麻紀は固まった。
そこに表示されたのは 全裸の女性の画像だった。
それだけならば何も思わなかったかもしれない。
自分だって女だし、これまでにも男性用の卑猥な広告などで女の体を見たことはある。
せいぜい悪質な悪戯だと軽蔑するだけだったかもしれない。
そうならなかった理由はそこに写る女性ではなく、その背景だった。
どこにでもあるようなマンションの廊下。
けれど床の色も壁のタイルも、自分が立っているこのマンションの物だと確信できた。
そしてその向こうに広がる光景も、見覚えがあった。
麻紀が住むのは6階の角部屋で、エレベーターから遠い601だったが、その前にある非常階段から見た景色にそっくりだと思った。
麻紀は携帯を手に持ったまま 玄関の外に出る。
画面に写る背景と 自分の目の前の光景を見比べると、ほんの少しだけ角度が違うことに気がついた。
向かいにあるビルの 写っている回数が少しだけ違っていた。
麻紀は携帯を持ったまま、非常階段を上がっていった。
※元投稿はこちら >>