中国は大連の高校を卒業して、美容師に進み20年が経ち、独立をして、順調に美容師のお店も順調に採算良く営業していました。その頃に結婚をして、子供(女の子)を帝王切開で生みました。が、主人は仕事の関係で殆どが家に帰ってきませんでした。主人を信頼するのは当たり前の事で、私名義の銀行預金通帳を主人名義でカード、作ったりクレジットカード渡しておりました。すると、思った以上にお金の出費が多いのに気づきました。
そんなある時、主人のカーナビをチェックしたら、ホテルに泊まったり、旅行に行ったりが分かりました。即、問い詰めると、女との行動が分かりました。その事が原因で離婚をしました。が、カードは、そのままで返して貰う事を忘れていました。
が、その時既に私の生理が止まっていました。
翌年に女の子を出産しましたが、元夫はこの事実を全く知りません。
離婚後に渡しておいたクレジットカードで全額が引き出されていました。
途方に暮れた私は、この時に中国で暮らす事を棄て、日本行きを決意した。
私は、母親としてこの子の将来の教育は、日本で受ける事の重要性以前から思っていた為、日本へ行く事にしました。
その時子供は2歳でした。
日本へ来たものの、最初の難関は、生活です。生活費を稼ぐためには、この子がいたのでは、働く事が出来ません。
そこで両親を日本に呼び寄せて、子守りをして貰う事に、生活費が又大きく伸し掛かってきました。
既に大連から日本に来ている幼馴染に、相談をしました。この幼馴染は、日本に5軒の家持ち、大連にも3軒の家を持つ女の人です。
貴女に勤まるか分らないけれど、マッサージ店は、どうか?と勧めました。私はマッサージなら簡単に出来るので、安易な気持ちで了承し、務める事にしました。
マッサージの仕事は即お金を稼げます。 が、ある時マッサージをしていると、私の太腿を触ってきました。私は瞬間的に蕁麻疹が出来、赤く粒粒のような状態になり、思わずお客様を力いっぱい蹴飛ばしていました。
示談金を払い決着し、そこを辞めました。
が、生活の為、働かなければ、横浜の閑静な中にあったマッサージ店をネットで探し、そこで働くことになりました。
出金の当日は、マッサージての入口まで行き、何度か思い止まり、お店の前を行ったり来たりしていました。娘のことを考え、家族の生活を考え生活して行く為、活きていく為、心を決してお店に入りました。時間的には美容師の仕事を終えてからの出勤で21時ごろなります。
出勤して数分の頃、お客の来店がありました。
店長が、優先的に私につけてくれました。
私は、日本語片言しか話せません。初めてのお客とは、殆どがlineの翻訳でのやり取りでした。マッサージの時間はほんの僅かでした。
お客が帰ると、印象に残るのは、誠実そうな紳士に見えたのです。
翌日の21時15分に、私がマッサージ店に入店して間もない頃、昨日のお客が来店しました。
店長は、すぐに私に付けてくれました。
120分の内容で実際のマッサージの時間は30分程度でした。残りの時間はlineでの翻訳で時間を過ごしました。
その間にはパイナップルやキウイフルーツを出して食べて頂いたり、私を優しく抱いて頂いて、私の感情も大きくこのお客に傾いていきました。
この時に、安堵気持から少しだけ、話してみたくなり、「実は、私は美容師なの、」と云ってしまいました。すると、そのお客は「それなら、この仕事を辞めて、本業に戻りなさい」と云ってくれました。
このマッサージ店に入って三日目に又例のお客が来ました。
lineで翻訳機を通しながらの会話でしたが、私の心の中は、このお客に身も心も捧げた気持ちでいました。この次にお店に来てくれたなら、私の肉体を捧げる覚悟が出来ました。
そして、その日が来ました。いつものように21時15分頃にお客がやってきました。マッサージが終ると、私はシャワーを浴びました。特に股間を丁寧洗い、見られても、舐められても恥ずかしくないように、準備をしました。
一口サイズに切ったパイナップルをお客に食べてもらいました。
お客がうつぶせになった時に私は、背中をマッサージして、その隣に覆い被さるように私も体を横にしました。するとお客は、優しく抱き寄せるようにして、私を包み込むよう抱擁をしてくれました。その時の安堵感は、父親に抱かれて眠るような、遠い昔の思い出に、心休まるひと時が有りました。
暫く忘れていた幸せ感に慕っている時、お客が身動きをしています。
起きようとしているのかと思いましたが、そのまま私の体に覆い被さってきました。私もそれにこたえるようにお客の体を抱きしめていました。
私の体の上でもそもそ動いているうちに、硬い肉棒を股間に感じました。
これまでに、他のお客には、私の体が拒否反応を示し体中に蕁麻疹が出来て発狂していたのが、今のお客には拒否反応が無く、むしろ私の体が硬くなった肉棒を受け入れる準備が出来ていました。私の膣からは既に愛液で充分潤い、肉棒の挿入を歓迎しているようです。
漸くお客の肉棒が挿入してきましたが、私は離婚して2年振りの挿入感に私の膣が勝手に反応しているかのように硬くなった肉棒を痙攣したかのような感覚で締め付けていました。マッサージ店でのこのような行為は、禁止されていますので、店長にも内緒です。私はお客に対して「今度はお店以外でしたい。声を出してしたい。」と云ってしまいました。
お客の歳を聞きました。奥さんが居るのかも聞きました。すると80歳で妻がいるとの事でした。私は一瞬正直に話してくれたので、居ても良いです。答えました。
そして数日後に念願が叶って外でお逢いする事が出来ました。待ち合わせ場所に行くとお客は来ていました。海の見える所を走りながら、例によってlineでの会話です。夕方になり、私の出勤時間になりましたので、マッサージ店まで送って頂きお客とはそこで別れました。夜になると昼間のお客が又来てくれました。昼間のお礼を言って、店長に果物をお願いして買ってきたマスカットパイナップルを食べてもらいました。マッサージが終ると、又前回と同じような、声を出さない静かなセックスでした。私は又、外でセックスをしたいと、云いましたが、お客は返事をしただけで帰りました。私はlineアドレスの交換をお願いしてお互いが連絡取れるようにしておきました。
お客さんからlineが入り、外でお逢いする事になりました。シャワーを浴びてデートの為の服装に着替えて、前回待ち合わせた同じ場所に向かいました。
お客さんは、いえお客さんとは、もう言いません。名前で呼ぶようにします。名前は山田さんです。そして私は理恵と云います。
私が待ち合わせ場所に着くと、そこには山田さんが車で既に待っていました。
会話は、lineです。中国の話、身近な日本語の話等をしているうちに、
産業道路脇にある
ホテルに入りました。
部屋に入ると直ぐに抱き合い唇を重ねました。
そしてシャワーを浴びるのも惜しんでお互いの肉体を貪り続けました。
山田さんの股間がもっこりと硬くなるのを確認すると、パンツを下げて
びっくりです。ビンビンに反立っているではありませんか。私はそっと唇を押し当てると脈を打っているようにピクンピクンと、私はどうしたら良いのか、正直分かりませんでしたが、口に咥えてみました。初めての経験です。それだけで私の膣からは、愛液が私の下着を濡らすほどに流れています。
山田さんの手が私の恥ずかしい部分に差し掛かるとき思わず身を引いてしまいました。が、尚も私の恥部に差し掛かると、もう私も我慢の限界です。一気に崩れ落ちて成すがまゝに、肉体を山田さん委ねました。態勢を変えると、肉棒が徐々に挿入されてきます。亀頭が少し挿入された時にそれ以上は中々入って来ません。それは、後で山田さんにお聞きしたのですが、私の膣がキュッと硬く締まって入っていかなかったと云ってました。肉棒が子宮を通り過ぎて尚且つ挿入されて一番奥に突き当たり悲鳴を上げる程に痛く顔が歪むほどでした。でも、その痛みは快感を伴う痛みで複雑な快楽でした。私が娘の出産は逆さ児でしたので帝王切開でした。ですから私の膣は子供を産んでません。その為かは知りませんが、膣の締め付け力が肉棒を手で力いっぱい握るよりも強く感じると云います。そして膣の強烈な吸引力と、子宮が前後に動くと云います。私にはわかりませんが、気持ち良くなると私は大きく腹式呼吸をしています。もう挿入したままで90分が過ぎています。
続きは又
※元投稿はこちら >>