柿崎さんにはこうして欲しい、ああして欲しいと言葉にしてきたが、柿崎さんも僕が喜ぶことを心得てきていた。「○○さんが恥ずかしい格好して羞恥プレイで責められているようだけど、わたしも恥ずかしいこと言わされて、わたしも羞恥プレイ受けてるみたい」と的を射たことを言うのだった。
柿崎さんとのプレイが始まって約半年後、祖母が肺炎で入院した。柿崎さんは家に帰ったら妻・母親・嫁の役割にもどらないといけない、怪しまれたくないと、連絡先の交換はしていなかった。いままで週4ペースで会っていたのが突然会えなくなり、精神的にも性的にもかなり堪えた。いろいろ事情が重なり、柿崎さんとは待ち伏せして路上で短い言葉を数回交わしただけで、実際に肌を合わせたのは約4ヶ月後だった。
柿崎さんは医療事務に転職していた。仕事帰りの柿崎さんは、職場の制服を着ていた。僕らの地域ではマイカー通勤者は職場の制服で通勤するのは珍しくなかった。
二人きりになると柿崎さんをすぐに抱きしめ、寂しかったよ、会いたかったよと僕は泣いた。柿崎さんも僕の背に回した腕に力を込め「わたしもよ、会いたかった、ほんとに会いたかった」と泣いた。
僕はおそらく何も考えずに、気付いたら柿崎さんと唇を重ねていた。柿崎さんは驚きも拒否もせず、当たり前のように受け入れていた。それだけではなく、積極的に自ら舌を絡ませ、僕の唾液を吸い、口中を舐め回してきた。柿崎さんは一旦唇を離すと「前のようにしていいの?」と聞いた。「うん、して」と返すと、「あは、わたしのかわいい困ったちゃん」とまた唇を重ね、服の上から僕の乳首を摘んでコリコリしてきた。「ああ、気持ちいいよ柿崎さん」「乳首で感じちゃうなんて、女のコみたい。チンポも触って欲しいんじゃないの?」「うん、触って欲しいよ」「まあ、チンポもだなんて、なんてイヤらしいの」と、左手で乳首を摘んだまま、右手でズボンの上からチンポを触ってきた。「あら、もうこんなになっちゃって、ほんとにイヤらしいんだから」と、今度はチャックを下げ、パンツの脇から手を入れ、チンポを握ってきた。「ああ凄い。ジトッと湿って手に張り付いてる。こんなに蒸れちゃって。キンタマはどうなの?あ~、キンタマはもっと蒸れ蒸れじゃない、汚いわねえ。ニオイも凄いのかしら?」「恥ずかしいよ、嗅がないで柿崎さん」「ダメよ、わたしのかわいこちゃんがどんなはしたないニオイさせてるか、確かめないといけないでしょぉ?」と右手を抜き、鼻先に持っていく。すんすんとニオイを嗅ぎ、「あ~凄く、臭い。なんて臭いチンポとキンタマなの。こんなに臭くしてるコには、こうかしら」と、僕の顔にペッと唾を吐いた。「あ~柿崎さんの唾…」と開いた口に、さらにペッと唾の塊が飛んできた。「唾、嬉しい。久しぶりの柿崎さんの唾、もう離れたくないよ」プレイから現実(?)に戻ったのか、柿崎さんも「わたしもよ。ずっとこうしていられたらいいのに」と返ってきた。
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