その時、加代子さんの腰がストンと畳の上へと落ちました。両手でセーターの裾を握り締め、その動きは止まってしまいます。
『私が気に入らないなら、叩いてください…。信哉さんが気に入らないなら、何回でも殴ってくれて結婚です…。』
それは彼女の最後の覚悟。自ら恥を晒すよりも、殴られた方がいい。自ら恥を晒すなら、男に望むがまま犯された方がいいと考えました。
無理矢理に身体は奪われても、心だけは挫けたくはなかったのです。
『服、脱げって言ってるだろー?』
『脱げません…。』
『はあ~?なら、立てや!』
『立てません…。』
『お前、あのクソガキの前では裸になってるんだろうがぁー!』
『はい…。けど、あなたにはお見せできません…。』
彼の目から視線を外すことなく、その全てを加代子さんは否定していました。それは女の目ではなく、母親としての目です。
従弟とは言っても、これだけのことを見せられては、彼の幼さは彼女には理解が出来ました。それを、彼女は母親として、対応を始めていたのです。
その時点で、信哉には勝ち目は無くなっていたのかも知れません。息子の写真を手にしたことが、仇となっていました。
信哉が持つ遺影。手にはもう力は入ってなく、ダランとしていました。『それ、返してくれる~?私の家族だから…。』と言われ、簡単に抜き取られます。
『なあ、加代さん?俺、加代さんのこと、本当に好きなんや?これで、もう俺、ワンチャンない?』と聞いた彼。
『ワンチャン??』、この言葉を、加代子さんにはすぐに理解は出来ませんでした。意味を知らなかったようです。
それでも彼女は、『うん。もうないよ?…、』と答えていました。
信哉が先にリビングへと行き、加代子さんが遅れて戻ると、彼はもう意気消沈をした様子でした。やったことの重大さにようやくきづいたのでしょう。
彼女は乱れた髪を直しながら、そんな彼の前へと熱いお茶を差し出します。普段、熱いお茶を飲むことがない彼も、湯呑みを大事そうに抱えていました。
信哉は『加代さん、怒ってる?情けないヤツやろ?46にもなって、女も知らんのよ?お袋には内緒やで?』と打ち明けていました。
加代子さんは、『言うはずないでしょ?』と答えますが、すぐに『ありがとうねぇ~?』とも返しています。子供のように見えていたのかも知れません。
その後の会話の中で、信哉は性のことを彼女に聞いています。どこまで加代子さんが語ったのかは分かりませんが、彼にはそれはとても有意義な時間でした。
46歳の男が、人生で初めて学んだ『性教育』だったのかも知れません。その顔は学生の頃に戻っていました。
『加代さん?また来てもいい?加代さんなら、いろいろ聞きやすいし…。だって、他には誰にも聞けんしなぁ~…。』と笑った彼。
その彼が帰り際に彼女に手渡したのが、『30日の午後6時30分くらいにまた会いに来ます。』というあのメモ。
それは、46歳の彼が学ぶ、『性教育の第2時限目』の始業時間が記されていました。僕は、その実習授業がないことを祈るだけです。
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