涙に暮れた顔の加代子さんの両手が、僕の腕を抱え込んでいた。『ナオミチちゃん、いかん!そんなことしたらいかんよ~!』と言って離そうとはしない。
僕は殴るつもりもなかったが、危険を感じたのか、彼女は母親として僕を止めようとしているのが分かる。
吉川さんの目は飛んでいた。急なことで、おばさんも何が起こっているのかよく分かってないらしい。
吉川さん。年齢は、たぶん60代後半。明るくシャキシャキしていて、話をする声も大きく、男性のように豪快にも笑う。町内でも、人望はある方なのだ。
ただ、その性格からハメを外してしまうこともある。自分が悪いと認めれば、素直に『私が悪かったわ。』と謝れる人。決して、悪い方ではないのです。
そんな彼女の今の目。僕はどこかで見た覚えがある。それは5年ほど前。噛み付いたのは、僕の母だった…
。
僕も、ちゃんとその母親の血を引いてしまっているらしい。
吉川さんの言っていることは正論である。間違っているのは、きっと僕達の方。つまり、僕がこれから言うことは、全てが異論。
しかし、異論であれ、それで論破をするしか方法がなかったのだ。
『僕はおばさんの息子と友達やったよ。だから、どうした!おばさんの旦那さん、おじさん知ってるよ。だから、どうした!』
『うちの母親に言えんよ。だから、どうした!。近所の人にも言えんよ。だから、どうした!』
『僕、それでもこの人が好きです。おばさんもきっとと僕のこと、そう思ってくれていると思います。』
『間違っているのは分かってるわ!だからって、お前がとやかく言ってくる権利がどこにある?お前、何様や!』
『コソコソと変な入れ知恵みたいなことして、俺はそのやり方が気に入らんのじゃ~!!』
人前である程度は話しが出来る人間だと、自分では思っていました。けど、まさかここまで言葉が出てしまうとは…。そんな自分に、少し驚きます。
加代子さんは、『もういい~!もういいって~!』と僕にすがりついて泣いていました。吉川さんはといえば、逆に言葉は出なくなっているようです。
自分のしたことを考え、少しは反省しているのでしょう。そんなおばさんが口を開いたのは、僕ではなく、加代子さんの方でした。
『加代ちゃん?お兄ちゃん、こんなこと言ってるよ。あんたはどうするの~?』
それを聞き、『ちゃんと、お別れしますから…。全部、私が悪いんです…。ちゃんと、お別れしますから…。』と言葉を絞り出すのです。
僕は、そんな彼女を抱き締めます。上から抱え込んだと言った方がいいです。もちろん、吉川さんの手前、それは受け入れません。
『離して~!…、ナオミチちゃん、もう離して~!…、』と涙を流しながら、僕から離れて行くのです。
加代子さんは頭を垂れ、両手と顔を畳につけて泣いていました。その後も姿を見ると、ここに連れて来てしまったことを少し後悔してしまいます。
きっと、こうなってしまうことを、彼女は分かっていたのです。
すると、『なら、私が余計なことしたんかなぁ~?』と吉川さんが言いました。
そして、『加代ちゃん、あんた好きなんやろ?この兄ちゃん。一緒にいてもらいなよ。私が黙っておけば、仲良く出来るんやろ~?』と理解をくれるのです。
『姉さん、いかん、いかんよぉ~…、私が悪いのぉ~…。』
加代子さんは、顔を伏せたまま、そう言っていました。吉川さんを、『姉さん。』と呼んだことで、二人の仲が分かります。
加代子さんは年上の彼女を慕い、吉川さんも彼女を妹のように思いやっていたのです。
行き過ぎたような行動は、その妹に『へんな虫がついた。』と心配をしてのことだったのでしょう。
テーブルの上には、3つのカップが並びました。中からは、熱いコーヒーの湯気が上がっています。
加代子さんは足を崩し、カップを手にします。その顔は、ヤレヤレといった表情。大仕事を終えた顔になっていました。
対面には、笑顔を見せる吉川さんの姿。なんの血の繋がりもない、年配の姉妹が話を始めています。
世話を焼かせた出来の悪い息子をようやくなだめ、安堵をしているようにも見えます。
そんな吉川さんが、加代子さんにこう聞いていました。
『なぁ~?こんな若い子とどうやって知り合うん?うちも欲しいわぁ~!』
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