『松下さん?、…でしたっけ~?』
平日の夕方、会社から帰宅をして車を降りた途端に僕はある年配の女性から声を掛けられました。
辺りは薄暗く、『私のこと、分かりますか?』と聞かれても、すぐには誰かのかが判断が出来ません。
そこに数台の車が通り、僅かにライトが照らし出したその顔。特徴的な切れ長の目から、薫子さんであることが分かるのです。
『西風さん…、でしたっけ?』
お互いに名字があやふやな二人は、確認をするように同じように名前を聞いてしまいます。
『西風』って名字も、うちの母親からではく、加代子さんから聞いたものでした。
『少しだけお話をしたいことがあるのですが、お時間の方どう?ほんと少しだけですから…。』
近所とは言え、突然の知らないおばさんからの誘い。正直、不気味でしかありません。
それでも断り切れなかったのは、加代子さんとのウォーキング仲間と知っていたからなのでしょう。
薄暗い町内の細い路地。薫子さんは前を歩き、僕はあとを着いて行きます。
彼女の家の玄関に着くまで、彼女から数回声を掛けられましたが、その内容はほとんど覚えてはいません。
家は古びた一軒家。廻りには空き家が多いため、連れて来られなければ、この家もそう勘違いをしたかも知れません。
それほど古い、昭和を感じさせるものでした。
玄関に入ると、らしくない眩しいLEDのライトが僕を照らします。
彼女は『上がりますか?』と控えめに聞いて来たので、僕は丁重にお断りをします。知らない人の家ですから。
LEDの明かりに照らされながら、薫子さんとの話が始まりました。
彼女はすぐに本題には向かわず、世間話から入ります。先生をやっていたせいか、語り口は上からのように聞こえました。
しかし、嫌みなものではありません。生徒になったつもりもありませんが、心地よさまで感じられるもの。
僕も彼女に釣られたのか、生徒のように自分の意見を言ってもいました。
そんな話が15分くらい続き、黙った彼女がポケットに手を入れます。それには、本題へと入る空気を感じます。
薫子さんが取り出したのは、スマホでした。不器用に操作をして、その画面を僕に見せて来ます。
『この子、知ってます?』
そう言われ、スマホを手にして画面を見た僕でしたが、そこには知らない男の子の学生の写メがあります。
『どなたですか?』と聞き返すと、彼女は『私の息子。』とだけ答えていました。
彼女の家族のことなど知らない僕は当然、『ああ、そうですか。』としか答えることが出来ません。
結局、30分くらい滞在をして帰りましたが、彼女が聞きたかったことが何なのかはよく分かりませんでした。
僕と別れた薫子。写メを見せ、僕に『知らない。』と答えられたことは収穫でした。
若い彼氏とのことは、あの男にも知られてはいないのです。
しかし、薫子にはもう1つ収穫があったようです。それは、連れて来たばかりの男が見せた視線に感じました。
『あいつ、私をみてたわ…。』
僕も気づきませんでしたが、熟女に興味を持つ人間は無意識にその女性を目で観察をしてしまうようです。
この歳で、美形の顔とスタイルを持つ薫子ならばこそ、そういったことは敏感に察知をしてしまうのでした。
気づいた彼女は知らぬ振りをして、僕への小さなトラップを仕掛けていたようです。
細い首筋、少し開けた胸元、しゃがんだスカートの裾、僅かに見えるくるぶし、それは数センチ単位で上げられました。
巧妙に男の視線を向けさせるテクニックです。その罠に掛かった僕の目は、今の彼氏を堕とした時と同じ目をしていたと言います。
『松下さん、おかえりなさい!ご苦労様!』
2日続けて、僕に声を掛けてきた彼女。彼氏との天敵という意味合いはもう無くなっていました。
彼女にもよく分かってはいない、今の彼女の感情。きっと、それはこうです。
『コイツもイケそうよ。』
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