【act 9 ~ もう一人のカヨ ~ 】
季節は秋へと変わっていた…。
僕に夕食を出した母は、すぐに対面へと座るとシャーペンを握り締める。何かの紙とにらめっこをし、僕に助言をこうのである。
夕食を食べ終えればすぐに部屋へと向かってしまうことを知ってる母は、自分の問題に僕を巻き込もうと必死なのです。
『硬筆検定4級とかも書いた方がいいよねぇ?』、そんなことまで聞いてくる母に、『持ってるもの、全部書いたら?』となげやりに答えていました。
そんな母が書いているのは、履歴書。父が居なくなっても専業主婦を続けていた母でしたが、まだ52歳。ようやく重い腰を上げたようです。
その日の朝、タンスには黒の正装服が掛けれていました。僕が仕事に出掛けた後、母はこの服に袖を通すのです。
午前9時。母は自分の部屋で下着を履き替えます。新調をした白の下着でした。そして服を着込むと、そのまま鏡の前へと腰を降ろします。
手にはファンデーション、化粧台の上にはルージュやアイシャドウも並べられます。52年間も女をやっているのです。もう馴れたものでした。
顔の化粧も整い、腰を上げた母はもう一度鏡に顔を映します。気になったのか、ショートヘアの前髪を指でサラッと流し、完成をさせたのです。
午前10時。母の車は、就職先となる建物の駐車場へと停められました。服のシワを気にしながら車を降りると、そのまま事務所へと向かいます。
そこには受付の女性が座っていて、『松下さんですかぁ~?』と声を掛けて来ます。母が面接に来ることを、この女性も知っていたのです。
『お入りください。主任がお待ちです。』、そう言われ、事務所の扉を開いた母。気の強い母でも、面接されるだけにどんな人なのかと緊張をしてしまいます。
『ああ、どうぞぉ~?』
『主任』と紹介をされたのは、女性だった。それも、母より20歳は若いであろう、30歳くらいの女。身体はふくよかでデブ、顔も残念な娘さんでした。
狭い事務所に、無理矢理並べられたようなテーブルと椅子2つ。その女性と対面となり、母の面接は始まりました。
先に履歴書を差し出した母。主任さんは目を通し始めるが、それがとても長い。待っている母も、『速く何か言えよぉ~。』なんて思ってしまうのである。
母の面接が終わった。採用だった。しかし、その面接に掛けられた時間は僅か10分程度。娘からの質問はほとんどなく、受付の女性を巻き込む滑稽さ。
面接など馴れてもない、オーナーの身内のただのお嬢さんだったようだ。『緊張して来たのが損。』と思えるほど、中身のない面接だったのです。
女三人の和気あいあいとした時間が続き、母は帰る時間のことを考え始めていた。しかし、すぐに帰ることは出来なくなってしまう。
求人は『急募』であったため、そのまま受付の女性から指導を受けることとなってしまったのです。目の前に置かれた一台のコンピュータ。
もちろん、すぐに覚えられはしないが、女性の指導を熱心に聞く素振りだけはする。『こんなの、すぐに分かるかぁ~!』、とそんな気持ちを抑えながら…。
しばらくして、ある一人の男性が現れる。受付の女性はちゃんとした対応をして、仕事を終えている。そして、母に告げられた一言。
『今のお客は、デリヘル…。』
母の新しい職場はラブホテル。名前を『リノ』と言うらしい。おかげで、僕も加代子さんも、このホテルを利用することは無くなってしまうのです。
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