話は20分ほど前にさかのぼります。
普段であれば、ここまで車内の清掃をすることもないだろう。そんな狭い場所にまで手を伸ばし、濡れたタオルが汚れを落としていく。
その時でした。スマホがLINEの受信を告げました。送信をして来たのは、たった今タクシーで出掛けたばかりの加代子さん。書かれていたのは、
『まだ車にいる?助けてに来てほしい。』
と言うもののでした。彼女はタクシーに乗る時に、僕の存在に気がついていたのです。慌てた僕は、そのまま電話を掛けます。
しかし、彼女が出ることはなく、『どこ?』と送り返したのです。
もし、彼氏の姿を見ていなければ、加代子さんの行動は変わっていたかも知れません。
実際、『私は他の男に抱かれようとしている。』、そんな気持ちもあったのは事実でした。
そして、返って来たLINE。それを見て、彼女は決心をするのです。理由など一切聞かず、ただ『どこ?』と自分の居場所だけを心配してくれる。
そんな純粋な彼に、彼女は惚れたのです。
『10時にホテル『リノ』。来て!』
せっかく洗っていた洗車セットは後部座席に投げ捨てられ、磨いたシートは激しく濡れてしまっていた。
濡れたボディーには急発進をしたホコリがつき、茶色く汚れていく。県道を80キロの速度違反、信号もスレスレに無視をしたかもしれない。
そんなことは関係なかった。自分の女がラブホテルへと向かい、そこから助けを求めているのだから…。
音を立てて、ホテルの駐車場へと車は入って行く。出てきたばかりの若いカップルの車ともすれ違うが気にすることはない。
そして、彼女はそこにいた。紺のワンピース、手にはハンドバッグ、さっき見かけたままの姿でそこに立っています。
カギをするのも忘れ、僕は加代子さんの元へと駆け寄ります。余程、不安と戦っていたのでしょう。彼女の目には涙が浮かんでいました。
『どうしたぁ~!?』、その言葉にホッとしたのか、その溜まっていたものは、頬をつたって落ちていくのでした。
彼女から聞いたのは、彼の名前。そして、『私にちょっかいを出してくる。そして、ここに誘われた。』ということだけ。
それ以外は、『あとで、全てお話をします。』の一点張り。情報が少なすぎて、このまま出たとこ勝負になることは明らかだった。
二人でエレベーターへと乗り、314号室へと向かいます。たったワンフロアー上へと上るだけなのに、お互いに階数表示を眺めています。
扉が開くと、その廊下は暗い。歩を進めようとする僕の身体に、瞬間圧力が掛かりました。突然のことに、その正体が分かりません。
しかし、加代子さんを見ていなければ分かりました。彼女は僕のシャツを握り締め、不器用ながらも唇を寄せて来ていたのです。
応えるような重ねた唇。それはほんの一瞬の出来事。僕も彼女も、お互いに勇気をもらうのでした。
目の前に現れたのは、バスローブを着込んだ40歳を過ぎた男。なかやかのイケメンでした。僕の存在に気づき、顔色を変えています。
『川田さん、誰?…、』、僕を見ず、小さく加代子さんに聞く彼に、僕はこうかますのです。
『お前こそ、誰やぁ~!!』
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