咄嗟にダメという言葉が出てくるが、拒否しているわけではなかった。腰まで捲り上げたスカートは手を離したところでそのままの状態を維持するのは分かっていてもスカートを持っている手が上にいくこともない。ただの条件反射のようなものだった。部屋にいる人にも聞こえるような声で改めて聞かされる今日の行いと嘲る言葉に体が震える。当然、羞恥と屈辱による興奮と歓喜がもたらした快感によって。明らかに常軌を逸した数々の行動、指示され行ったものもあれば自ら起こした行動もあるが、どれも最高の興奮と快感に悶えた。快楽を貪るだけの獣でしかない姿は人間を捨てたと言われて当然であり、その事実を部屋にいるだろう人に向かっても発せられた事にさえ興奮してしまう。そんな中、胸を露にされた事はやりたくても自分からは決してしない行為、指示されて躊躇しながら興奮して従うのもいいけれど、こうやって問答無用に乱暴にされた事に嬉しく感じた。思えば強引にされたことはなかったように思う。半ば強制のような指示もあったけれど私があくまでも自ら行うという形をとって、常にどうするかは自分に委ねられ自分で選択していた。自分から行うからこそ得る羞恥と興奮、はしたないみっともない姿を見られたいという欲求が十分すぎるほどに満たされていった上に、本当に自分が求めている事を知り堕ちるだけ堕ちて幸せに浸っている。それとはまた違った喜び、支配されているというか自分の意思ではなく乱暴にされたことにドキドキしている。
あああ、、、、
公園で担がれて足を広げられたのは、外でこんな格好、しかもこれでおしっこするという恥ずかしさだけに気がいっていたけど、強引にされたことにも興奮してたんだ、、、
だから異様に興奮して必死になって抵抗しようとして、でもそれが叶えられないことは分かっていて、、、
それが良かったんだ、、、
もっと、、、もっと、、、
カズマさんの好きなようにしてほしい、、、、、
女性として恥ずかしくないように見た目も内面も自分なりに気をつけて生きてきて、お淑やかとか清楚とかカズマさんは私を煽るためにわざと言っているのだろうけれど、そういう風に見られるようにしてきたつもりだ。主人との営みも恥ずかしい事や嫌だと思う事は全て拒否してきた。体を重ね合わせる幸せと気持ち良さは感じていたものの、恥部を晒すだけでも恥ずかしいというのに、恥ずかしい体勢になるのが耐えられなかった。性行為は厭らしいことはしたないことでしかないと思えていた。主人の前でさえ淫れる事を避け貞淑に振る舞ってきた。それが自分のアイデンティティーであり誇りであると信じて疑わなかった。それなのに今、自ら恥態を晒す事に悦び、乱暴に恥ずかしいことをされる事を望んでいる。築いてきた姿とは真逆の淫らで情けない下品な姿、惨めに蔑まれ雌豚としてむちゃくちゃに乱暴に扱われ屈辱と羞恥にまみれて快感を得たい。淫乱で変態でドMで、道徳心すら失い人の道を外れた行為をしているのに心が満たされていく。最低なのに最高だった。
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