36
イヤリングの一件があって以降、美〇子や佐〇子ことよりも妻のことを考えることが圧倒的に増えた。
妻、亜紀とは医学部在学中にアルバイト先で知り合った。彼女は同じ大学の教育学部に在籍していた。同い年だが、私は1年浪人して入学しているので、彼女は大学の1年先輩となる。彼女は当時から友人が多く、誰にでも好かれるタイプの女性だった。付き合い出した当初は私もいろいろと嫉妬深く気を揉んだものである。私が医学部を卒業すると同時に結婚し、しばらくは共に働いた。子供ができてからは家に入り、今は専業主婦として家を守ってくれている。性格は真面目でよく気が付き、子供もしっかりと育ててくれている。私にはもったいない、申し分のない妻だ。私の両親もいつもそういって感心している。そんな彼女にとって不倫などあり得ることなのだろうか。あのイヤリングがただの偶然ということも十分あり得ることなのだ。その一方で美〇子のような前例をみせつけられると、不安なのか、焦燥なのか、あるいは期待なのか、自分でもうまく表現のできない感情を妻に対して抱く自分もいた。美〇子だって、間違いなく子供達からみたら良い母であり、夫からみれば真面目な良い妻であることは間違いない。よって、亜紀だってわからない。そんな論理を組み立ててしまうのだ。
休みが明けると早速、R田と飲む約束をした。病院の最寄りのJRの駅近くにある個室居酒屋で、仕事帰りに落ち合った。先ず私から日曜日の礼を述べる。
「いやぁ、日曜日は本当にありがとう。すごかった。めちゃくちゃ興奮したよ。そもそも人のセックスを直にみることが初体験だったし。いやぁすごかった。□□さん、裸も綺麗だったな。」
「俺も興奮しました。クローゼットの戸板くり抜いて、あんな大がかりなことした甲斐がありました。またやりましょう。」
「だな。楽しませてくれて、ありがとう。」
亜紀のことを切り出そうと思った。しかし、R田が赤の他人であったなら簡単にできたであろうカミングアウトも、相手が仕事でも絡む人間となると躊躇してしまう。しかも医者とMRという関係だ。「妻とはもう関係したのか?」とか、「今度は妻を口説いて、医局秘書の様に報告してもらうことはできないか?」のひとことを口にすることがなかなかできない。結果、おのずと迂遠的になる。
「なんらかの形でお礼したいと思ってはいるんだが、以前から妻に興味があるって言っていたのは本心か?」
「本心も本心ですよ。まさか今回のお礼に奥さんを貸し出してくれるんですか?」
「本当にそれが、お前にとって今回の礼になるのか?」
「礼どころか、それがかなうなら俺が先生にお礼しなきゃいけないくらいですよ、マジで。奥さん貸していただけるんですか?マジでいってるんですか?」
「ああ、お前が喜ぶなら。ただもうその礼は済んでいる?」
「えっ。・・・先生、知ってるんですか?」
「なにをだ?いいや、実は何も知らない。ただ亜紀がお前の部屋に行ったんじゃないかって思っただけだ。」
R田は珍しく驚いた表情を隠さず、口元には苦笑いを浮かべている。しばらく下をむいて考えたあと、口を開いた。
「わかりました。怒らないでくださいね。」
「ああ、怒らない。約束する。」
「奥様とは2回、ランチしました。2回目はうちの近所だったので、ランチのあとにうちのマンションにあがってもらいました。でも何もないですよ、まだ。」
「マンションまであがって何もないは嘘だろ。」
「キスはしました。でも途中で抵抗されて、やめました。本当です。それ以上はありません。」
「リビングのソファーでか?」
R田はきょとんとした表情ではいと答えた。私は悪童の様な笑顔を作っていたつもりだがうまくいっていたのか自信はない。焦燥感のような所在ない心地と興奮が、自分のなかで大きく膨らんでいった。
「なんでわかるんですか?」
私は胸ポケットから肉球のイヤリングを取り出した。R田はすぐに合点がいったようだ。
「軽い口づけは受け入れたのに、途中でイヤイヤを始めちゃいまして、そのときイヤリングが落ちたんでしょうね。でもまだ諦めてはいません。」
「諦めてもらっては困る。」
やっと私も自然なかたちで本心を口にすることができた。我ながら回りくどいと思った。
「やっぱり先生には寝取られ癖があると思ったけど、図星だったんですね。」
「まあな。お前にはやられっぱなしだよ。しかしいつうちのと連絡を取ったんだ?」
「先生のお宅にうかがったときです。××堂のシュークリームの袋の中に手紙をいれておいたんです。ラブレターをね。」
「うちのから連絡があったのか?」
「いいえ。なしのつぶてでした。でも何日かたってから、先生のお宅に改めてうかがったんです。もちろん奥様しかいないであろう時間帯をねってですけど。『先日は変な手紙を出してすいませんでした。先生には絶対内緒にしておいてください。』って。」
妻はR田が再び訪ねてきたなどとはひとことも言っていなかった。
「で、うちのはなんと?」
「笑っていました。変ないたずらは止めてくださいって。からかうなら若い可愛い子達がたくさんいるでしょうって。でも完全に脈ナシではなさそうだと直感しました。お詫びにランチくらいごちそうさせて下さいっていったら、意外にも即OK。そのときに改めてメルアド交換しました。」
「なるほど。うちのらしいといえば、らしいが無警戒だな。」
「はい。警戒している感じは微塵もありませんでした。」
R田はまだ話を続けていいのかと言わんばかりに、ニヤニヤしながら私の顔を凝視している。私は先を促した。
※元投稿はこちら >>