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久々に家族そろっての夕食をとっている最中に携帯電話からメール受信を知らせる受信音が聴こえた。アドレス登録してある人物からのメール受信を知らせる受信音であり、その他のメールと区別できるように私自身が設定したものだ。トイレに立つ振りをして廊下に出て、携帯電話を確認する。R田のパーソナルアドレスからのメールであり、内容は、『これからホテル〇□ンにはいります いただきます』と急いで打ったとおもわれる句読 点もないひとことだった。ダイニングに再び戻れる程に興奮を鎮めるためには数分を要した。
夕食を終え、子供達は携帯用ゲーム機をやっていいかと妻にねだり、許可がでると一目散にリビングへと消えた。妻は食後にお茶を飲みながら夫婦で他愛もない話をするのを常としており、私もそんな時間を大切にしてきた。その日も私が帰宅すると聞いて、寄り道をして手に入れたという人気店の和菓子を取り出し、コーヒーをいれてくれた。
家のことは妻にまかせきりであり、いろいろとストレスが溜まることも多いに違いないが、そんな中でもこのように和菓子好きの私への気遣いも忘れない。妻は私とは正反対とも言えるほど社交的であり、老若男女、洋の東西を問わず人に慕われる。正直、働き続けていたならば、女だてらにその人望をもとに辣腕をふるい、かなりのポジションに就いていたかもしれないとも思うが、これは夫の贔屓目かもしれない。そんな妻が洗い物をしながらする話(話といっても話題は子供のお習い事の先生のことやママ友のひとりが陥っているご近所問題といった本当に他愛もないものであったが。)に耳を傾けながらも、頭の中で全く別のことを考えていた。この妻にも秘めた一面があるのだろうか、先ほどの下着入れの奥に隠すようにしまい込んであった布袋にはいったい何が包まれていたのだろうか、明日もしくは明後日にあの布袋の中身を確認する機会はあるだろうかと。
翌朝、妻の下着入れを確認する機会は意外にも早く訪れた。妻は午前5時を過ぎると愛犬の散歩に出かけた。毛の長い犬種であるため、気温が高くなる春から夏にかけては早朝、あるいは日が暮れてから散歩をするようにしている。今年は早くも散歩の時間を早朝に切り替えていたようだ。もちろん子供はまだ寝ている。クローゼットの扉を開け、昨夕、例の布袋をみつけたプラスチックの引き出し引く。昨夕同様に淡色系を主体に色とりどりの下着が収納されていたが、驚いたことに昨夕とは異なり、引き出しの最奥部にあった布袋は消えていた。2段目の引き出しを引いてみたがブラジャーが、3段目にはキャミソールやパンティストッキング、タイツが収納されていたが、やはりあの布袋はなかった。昨夕、慌てて戻したため、何らかの痕跡が残り、気づかれてしまったのだろうか。袋の中身は夫にみられたからと、その存在を改めて消す必要のあるものだったのだろうか。ここふた月ほどの間に立て続けに女性の多面性を目の当たりにして、偶然の重なりを関連付けて考えすぎているだけなのだろうか。実際、犬の散歩から帰宅した当の妻はなんら変わった様子はなく、普段の彼女そのものだった。
その日の午後、再びR田のパーソナルアドレスからメールがあった。金曜日の首尾は上々であり、直接渡したいものがあるから明日の午前中に自宅に行ってもよいかとの内容であった。先ずは感謝を述べ、遠慮なく来てくれと返信した。R田は我々がまだ双方ともに都内で勤務していた頃に一度自宅に呼んだことがあり、妻とも面識があった。妻にもR田の来訪予定を伝えると、「ああ、あなたの趣味仲間のイケメンさんね。遠慮なくあがってもらっていいからね。何か用意しておくわ。」と快く応えてくれた。
日常というものは一か所で波が起こると、それが波及してか、あるいは独立してか連鎖する様に複数の波が生じるものである。その日は全く眠れる気がしなかった。
槌
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