玄関では、バスタオルを被った二人が濡れた髪を拭き取っています。人間こんな時には、濡れた服よりも真っ先に髪の毛を乾かせるようです。
バスタオルで頭を乾かせながら、佐久間さんが話し始めます。
『いつからいたの~?』
『さっき…。』
『お車は?』
『コンビニに無断駐車してる…。』
『その車から、いつ降りたの~?』
『1時間半くらい前…。』
『で、それからここにいたの~?』
『さっき…。』
『さっきって、1時間半くらい前~?』
『さっき…。』
『私が帰ってくるの待ってたの~?』
『ちょっと…。』
『いつから待ってたの~?』
『さっき…。』
そんなバカな会話をしているなか、『バカなことせんのよぉ~!』と佐久間さんの口調が変わります。やはり、僕の行動には問題があったようです。
佐久間さんは震えていました。寒空のなか雨に打たれてしまい、鼻まですすっています。ルージュの落ちた唇の色も悪く、やはり寒気がしているのでしょうか。
しかし、そうではないようです。バスタオルで拭いて乾いた顔の中で、その目だけは赤く潤ってしまっています。
その潤んだ目が僕を見つめると、『バカなことせんのよぉ~…。おばちゃん、泣いてしまうやろぉ~?…、』と言ってくれたのです。
びしょびしょの彼女の身体を、びしょびしょの僕の身体が抱き締めます。一週間ぶりに、彼女の身体が戻って来たのです。
僕の唇は、彼女の唇を求めました。唇を奪われた彼女は、すぐに顔を避けようとします。次第に抱き締めていた身体までもが、僕から逃げようとするのです。
その時の佐久間さんには、求められたくない理由がありました。ついさっきまで、池本というあの男性とホテルで情事を行っていた自分に対してです。
その唇、その身体、隅々まで池本に捧げてきたばかりの彼女には、どうしてもすぐに『他の男』を受け入れることを拒絶してしまうのでした。
彼女はハイヒールを脱ぎ捨て、慌てたように早足でリビングへと逃げ込みます。少し呆気に取られた僕も、その場からは動けません。
それでも意を決して、彼女の家へと上がり込むのです。
佐久間さんは、まだリビングにいました。ストーブがに火が灯されてはいますが、部屋を暖めるほどではないようです。
そんな彼女に、『着替えんの?』と声を掛けます。彼女は何も言わず、まだ炎の弱いストーブの前で立ち尽くしたままになっています。
『寒いやろ~?着替えて来たら~?』ともう一度言ってあげると、ようやく口を開くのでした。
『1時間半も待ってた方が寒いやろ~?』
『…。』
『ずっと、雨に濡れてた方が寒いやろ~?』
『…。』
『もう、私が謝らんといかんよぉ~…。』
『…。』
『ごめんねぇ~…、』
彼女のような年配の女性に涙を見せられ、僕は戸惑いました。対処の仕方が、まるで分かりません。
しかし、そんな戸惑いなどすぐに消えてしまいます。対処の仕方など、経験豊富な彼女の方から教えてくれました。
『抱き締めてくれる~?』、そう言って寄り添って来た女性を抱き締めてあげる、ただそれだけのこと。簡単なことです。
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