スーパーで買い物を済ませ、佐久間さんの家に帰って来たのは、夕方の4時過ぎのことでした。雨は更に強くなり、この時間だというのに暗くなっています。
先に彼女が車を飛び出し、家の玄関を開けました。それを確認した僕は、買い物袋を手に持ち、開いた玄関へと走り込むのです。
僅か数秒のことだったのに、僕も彼女もなかなかの濡れようです。それでも、濡れた服を手で払い、ようやく家へと入り込むのでした。
濡れた買い物袋が、キッチンのテーブルに置かれます。中からは定番のニンジンや玉ねぎが取り出され、これから佐久間さんの腕がふるわれるのです。
『お料理出来るの?』、佐久間さんから声が掛けられます。流し台に立った彼女の隣に、並ぶように僕が立ったからです。
『出来るわけないやろ~?』と、当たり前のように答えた僕でしたが、彼女の手からは『まな板と包丁』が手渡されるのです。
先に皮剥き器で彼女が皮を剥ぎ取り、それがまな板の上に置かれます。『手、切ったらダメよ。』と真面目な言葉が僕に掛けられました。
それを適当な大きさに切りわけ、いつしか流れ作業となるのでした。
真面目に作業をしている自分に気づくと、『なにやってるんだろ?』と可笑しくなって来ます。料理などする気もなく、彼女をからかうだけのはずでした。
それが佐久間さんに真面目な態度を取られてしまい、もう引っ込みがつかなくなっていたのです。
エプロンをつけた佐久間さんが、すぐ隣に立っていました。彼女より10センチ以上は背の高い僕の目線は、僅かですが彼女を見下げています。
雨で髪は少し濡れ、顔のお化粧もいくらか流れ気味です。着ている服は濡れた重みで下がり、首元が開いています。
首回りの肌は年齢を感じさせ、いくつものシワが隠せません。それを見た僕は、『やっぱ、おばあさんだぁ~。』と実感してしまうのです。
顔はお化粧も伴って美形に見え、スタイルもよく、服装も常におしゃれなので、普段は年齢よりも若く見える彼女。
しかし、どうしても隠しきれない現実を見せられると、やはり僕の理想の女性像から離れ、彼女の年齢を感じさせられてしまいます。
目の前のまな板には、皮を剥いだ玉ねぎが1つ置かれていました。隣の佐久間さんに気を取られ、流れ作業が止まっていたのです。
全ての皮剥きを終えた彼女は水道で手を洗い、そこでようやく止まっていた僕の方を見ました。僕を見た彼女の目が変わりました。
その時の僕は、どんな顔、どんな目をしていたのでしょうか。佐久間さんは途端に焦ったような顔に変わり、その対応に追われていました。
そして、彼女から出た言葉は、
『キスでもしたい?』
だったのです。
その一言で、僕は現実に戻されました。更に、彼女の言葉に『えっ?』と疑問を覚えます。
ただ、彼女を眺めていただけなのに、ただそれだけなのに、彼女にそう言わせてしまったのです。
佐久間さんが90度こちらに身体を捻りました。顔は僅かに上を向き、受け入れの準備をし始めています。
そして、『するんなら、ホラぁ~。』と彼女に言われた僕は、ゆっくりと唇を近づけて行くのです。
彼女の唇に到着をするのに5秒以上掛かり、唇に触れた時間はほんの一瞬のこと。
キスを終えた彼女はまた流し台へと向かい、本格的にカレーライスを作り始めるのでした。
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