【37】
家の庭に止まった車は、エンジンを止めた。
僕が隠れている場所は家の裏側で庭は見えないが、音の方向で位置は把握出来る。
すると、ドアを閉める音が響いた。
由英が車を降りた、僕はそう確信した。
だが、ドアが閉まった音は1度ではなく2度だった。
つまり、車を降りた人物は2人という事になる。
もしかしたら、由英が誰かを連れてきたのかもしれない。
僕がそう推測した瞬間、予想外の会話が聞こえてきた。
「ここで間違いないんでしょ!?」
「そうよ!ここで間違いない!だって、この車に乗ってたじゃない!」
2人の大きな声が、僕達の耳にも届いた。
その声の主は、どちらも由英ではなかった。
どうやら、最悪の事態は免れた様だ。
とはいえ、この2人は一体誰なのだろう。
どこかで聞いた事があるダミ声なのだが・・・。
確実なのは、2人とも歳を重ねたおばさんだという事だ。
そして、その2人がここへ来た理由はすぐに分かった。
2人は玄関のスライドドアを開けると、図々しく家の中へ入ってきたのだ。
そこで、ようやく2人の正体が判明した。
台所から玄関へ繋がる扉が開いている為、僕の位置からでも確認出来た。
恐らくこの2人は僕の事を知らないかもしれないが、僕は知っていた。
何故なら、この2人は町の名物ともいえる厄介なおばさんコンビだったからだ。
町に大勢いる噂好きの面倒なおばさん連中の中でも、この2人は最凶コンビともいえるだろう。
おばさん連中の噂話のほとんどは、この2人が発端ともいわれている。
その話の内容は、大袈裟なものだったり陰口が大半で、敵に回すと相当要注意な存在らしい。
他のタチが悪いおばさん連中ですら、この2人の機嫌は損ねない様に気をつかっているんだとか。
僕みたいに関わりの無い者でもそんな話が聞こえてくるのだから、本当に厄介な者達に違いない。
そして、そんな性格だから幸子の様な気が強い女は快く思わないらしい。
もちろん、噂話の中には幸子の悪口もたくさんあると聞く。
生意気な女で、挨拶もしなければ目も合わせない等と言い触らしているのだとか。
当然、その内容は誇張したものも多いらしい。
それだけではない。
幸子の容姿を、誹謗中傷する趣旨まで語っているらしいのだ。
歳の割に化粧が濃い、あれだけの肥満な身体は見た事が無い、仕舞いには整形してるんじゃないかという発言までしていたという始末だ。
無論、整形などしている訳がない。
化粧だって、至って普通の濃さだ。
更に何度も言うが、幸子の身体は断じて肥満とは違う。
確かに、ほっそりとしたスレンダー体型では無い。
身長だって、160センチ程だ。
しかし、幸子の身体は扇情的な肉付きを誇る体型なのだ。
豊乳や肉尻が何よりもの証拠で、他の女をはるかに凌駕している。
40歳を目前にした女とは、到底思えない美貌だ。
むしろ、どんどん魅惑的な雰囲気は増しているのだ。
そんな幸子が醸し出す扇情的な色気は、男だけではなく女にも十分伝わっているはず。
要するに、女としての妬みで幸子に敵対心を剥き出しにしているのだ。
幸子も2人の人間性に問題がある事には気付いているらしく、かなり毛嫌いしている様だった。
となれば、幸子にしてみれば1番この状況を目撃されたくない者達だろう。
十中八九、無遠慮に言い触らして誇張するに違いない。
幸子から誘っていた、不倫関係だった等と言い触らすのは目に見えている。
そして、2人がここへ来た理由もやはり低劣なものだったのだ。
「ごめんくださ~い、奥さんいる~!?」
おばさんの濁った声が、家中に響いた。
もちろん、返事は無い。
「ねぇ、やっぱり居ないんじゃない!?」
「そんなはずないわよ!だって、鍵が開いてるなんて変だもの!
それに、車もあるし・・・ん?ほら、見てよ!靴もある!」
先程、幸子と伊藤が玄関で会話している時に僕は見ていた。
綺麗な黒のハイヒール、幸子が面接用に履くつもりだったのだろう。
「えっ!?ちょっとこれ、汚れすぎじゃない?
牧元さんってこんな汚いサンダル履くの?」
「うわぁ、どうしたらこんなに汚くなるの?
こんなの履く位なら裸足の方がマシよ。」
伊藤が履いていたサンダルの事だ。
「きっと性根が腐ってるから、こんな汚いサンダルも履けるのね。」
「そうね。やっぱり私達の思った通り、運動会もサボったんだわ。」
2人の目的が、判明した。
恐らく幸子が運動会に来ていないのが分かり、休んだ事を怪しんでわざわざ家まで訪ねてきたのだろう。
今まで、幸子が欠かさずに参加していたのも頷ける。
運動会を休めば、この2人の陰口の恰好の的になってしまう。
だが、今年は本当にやむを得なかったのだ。
本来なら幸子は今頃、面接先の喫茶店にいるはずだったのだから。
運動会を休む理由としては、申し分ない。
しかし、現にこうして靴もある。
それに、何といっても家の鍵が開いていたのだ。
サボって家にいると思われても、仕方ないのかもしれない。
2人は、家の中へ呼び掛けた。
「奥さ~ん、居るんでしょ!?」
「ちょっとお話しましょうよ~!」
当然、呼び掛けに対して応答は無かった。
2人は、不機嫌そうな表情で家の中を睨んでいる。
すると、台所の扉が開いているのを確認した2人は何気無く台所を注視した。
僕が覗いている窓も2人からは見えているだろうが、ビデオカメラの存在までは見えていないはずだ。
何かを感じたのか暫く台所を見つめていたが、2人はそれを止めた。
すると、また家の中へ呼び掛けはじめた。
正直、2人が台所を凝視していたのには焦った。
もちろん、動揺したのは僕だけではないだろう。
伊藤と幸子の2人は、険しい表情で突然の来客の様子を窺っていた。
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