確かにその頃、父の帰りが遅くなっていました。出世をした父でしたから、『そうなんだろう。』とその程度に思っていました。
しかし、それは僕の間違い。6時に塾を終えた先生は、ほぼ毎日のように父の待つホテルへと向かっていたのです。
先生も、父という人間を分り始めていました。『危険。』『自分とは違う。』、そう見極め始めていたのです。
しかし、セックスレス10年の身体が求めてしまったのです。『マンコぉ~!オマンコぉ~!』、彼女は決して言ったことのない言葉を吐かされ続けました。
それを口にしたことで、自分が興奮をしていくのを感じます。『自分はそんな女なのかも。』と考えるようにもなるのです。
父があるものを、手渡します。不器用な父が、『やるわ。』と言って投げた箱。結婚指輪でした。しかし、先生はすぐに判断が出来ません。
それをイエスと言わせたのも、父の激しいセックスでした。父のモノで責めれ、『はい~!します!います!』と泣きながら叫んだ先生。
その直後に、『チンポ気持ちいいぁ~!チンポ気持ちいいですぅ~!』と叫ばされたのですから、ある意味父は凄いです。
先生がうちに嫁に入り、僕と再会をします。結婚直後はまだうまくいっていると思っていた父と先生でしたが、実際は違いました。
それは63歳の年上の意地でもありました。セックス中、支配をしてこようとする父に先生が逆らい始めたのです。
『11歳も年下の子供がぁ~!』、それが支えでした。しかし、その逆らいは飛んだ方向へと向かいます。
『お前、なんや?ワシの言うことが聞けんのか!』、それが始まりでした。『お前の死んだ亭主、お前にどんな教育してたんや?!』と父は続けてしまいます。
先生は『あんた何てこと言うのよ!もう1回言ってみな!』と似合わない怒りをみせるのです。そうなると、父は引きません。暴走してしまいます。
『そんなアホ亭主の子供なんか作るから、あんな可哀想な子供が出来るんじゃー!』と言い返すのです。それには先生はキレました。
『もう1回言ってみなよ!もう1回言えぇ~!』と悔しさから、涙を流しながら父に手を出すのです。
しかし、先生がいう『強姦』はここで起きたのです。何度も殴られ、着ていた服は破られながら肌が現れていきます。
気がつけば、丸裸にされ、濡れきってもいない先生のそこへ、無理矢理父のモノが入れられました。父は大きな声をあげ、先生を犯し続けたのです。
更に『美代、美代、』と死んだ母の名を呼び始めます。それに気づいた先生は『やめてよぉー!』と泣き叫びました。
女として、それだけはガマンが出来なかったのです。
部屋を立ち去ろうとした先生に、『また一緒にマンコしような、美代?』と声を掛けた父でした。
先生が我が家からいなくなって10日。父が先生の家にやって来ました。そこで気落ちする父に優しさを見せ、隙をつかれて身体を許してしまう先生。
父のテクニックに、また先生の身体は苦しむのですが、数か月の父とのセックスで、先生にも免疫が出来ていました。
あの激しい父のセックスに、耐えられる身体となっていたのです。それでも先生は演技をにしながら、父に服従をしてしまいます。
それは、全部僕のためでした。『お前ら、一緒に風呂入っじょんのかぁ~!』とその目が僕に向けられた時、先生は僕を守ることを決めたのでした。
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