次の日の会社帰り。
僕はいつものように、夕方6時過ぎに家の近くまで帰って来ていました。しかし、すぐには帰ることが出来ず、時間を潰すよに車を走らせてます。
家に帰れば、先生が待っている。それが、今の僕には苦痛でしかないのです。フラレたようなもの。二人で顔を合わせることは、今の僕には避けたいのです。
父が帰る7時半。僕はそのタイミングを狙い、家に戻りました。しかし、玄関のカギは掛かっており、家の中の灯りもついていません。
その時でした。『おかえりなさい。遅かったねぇ?』と声を掛けられ、帰ってきた先生でした。『遅かったねぇ?』って、それはこっちのセリフです。
先生が遅かった理由。それは、父が先に一手を打っていたのです。『帰るのは、7時半にしろ。』、それが父が先生に出した要望、いや命令でした。
それどころか、土曜日が仕事の父は『買い物でもなんでも、土曜日は外に出ろ!』と先生に告げていたのです。もちろん、僕の知らないところでです。
それほど父は、僕を警戒しているのです。もちろん、父は僕と先生に何があったのかは知りません。先生白状していなければ、ですが。
しかし、父の中ではそれは事実であって、やはり僕は警戒すべき人間なのです。
土曜日の朝でした。父が会社に出たのを見計らい、僕は自分のベッドを出ました。しかし、そこには父どころか、先生の姿もありません。
父の命令で、先生も同じ時間に家を出たのです。誰もいないキッチン、僕が先生の作ってくれていた朝食を食べ始めます。
その時でした。玄関の扉が開き、靴を脱ぐ音でそれが先生であることが分かります。我が家に来て長いので、物音で分かってしまうのです。
先生がキッチンに現れ、『これ、パン屋さんで買って来たから食べて。』とサンドイッチを渡してくれます。
確かに、テーブルにはたまご焼きしかありませんでした。『ああ、うん…。』と受け取り、それを食べ始めるのです。
先生は冷蔵庫からお茶を取り出し、それを手に僕の対面に座りました。あれから6日、先生とこうやって顔を合わせるのは、あの日以来ということになります。
僕は気まずさを感じ、食事をすることに集中しようと考えます。先生もいろいろ考えているようで、顔をキョロキョロして、すぐに言葉は出ませんでした。
しかし、『私のこと、もう嫌いになったやろ~?』と言われ、僕は初めて先生の顔をみます。『ん?』という僕の表情に、先生は笑いました。
『なんて顔するの~。なんか、笑ってしまうわぁ~。』と言って笑った先生。訳もわからず、僕も笑顔を作ります。
笑い終えた先生は、持っていたグラスをテーブルに置き、腕をテーブルの上に乗せて僕の方を見ます。その顔が、僕に何かを語ろうとしていました。
『助けてくれんのん?』と先生が僕に言います。意味が分からず、返事が出来ません。仕方なく、『何が~?』と聞いてみます。
すると、『土曜日になるの待ってたの…。私を助けてくれん?』とまさかの言葉でした。先生は父に抱かれながら、今日の日を持っていたのです。
『父ちゃんとなにかあったの?』と聞くと、『私は、亡くなったあなたのお母さんの代わりに来てるんじゃないの!』と口調が強くなります。
突然の変貌に、『どうしたの~?』と聞いてあげます。泣き虫の先生は目に涙を浮かべ、『あなたのお母さんなら…、』と言って、言葉が詰まります。
そして、『あなたのお母さんなら、それで辛抱できたかも知れんけど…、私には無理なんよ~…。』と言って、顔を押えるのでした。
先生の言っている意味はよく分かりません。しかし、父への不満が爆発して、涙が堪えきれなくなっていることだけは分かります。
僕の座っていたイスは、後ろに引かれました。僕の身体は、自然とテーブルの向い側にいる先生の隣へと移動をしていました。
僕の目の前には、両手で顔を隠す一人の女性がイスに座っています。僕の手は、その細い右の手首を掴むとこちらへ引き寄せます。
先生の顔から手が離れ、隠していた顔半分が現れました。目は潤み、唇が震えています。先生は、もう一度顔を隠そうとその手を引き戻そうとします。
強い力に僕の手は離れ、先生はまた両手で顔を覆いました。
その時でした。『もう、いい加減にしなよ!』と言って、僕は40歳も年上の63歳の女性に強い言葉を浴びせます。
そして、イスに座るその細い身体を抱き上げるのです。あの細い身体が、6日ぶりに僕の胸に帰って来ました。
あまりの勢いに、先生の軽い身体が一瞬宙に浮いたような感じがします。『ごめん~…、ごめん~…、』と涙声で言い、両手で隠した顔を見せようとはしません。
しかし、次に言った『ごめんねぇ~…。』と言葉は、ハッキリと僕の耳に届き、彼女の手が顔から離れたことを意味します。
離れた手は、僕の首に巻きつきました。その力はとても強く、合わさる頬は何度も擦り付けられるのです。
先生はすすり泣いていました。僕は何も言わず、だだずっと抱き締めているのでした。
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