和也はしばらく部屋から動けなかった。
否、すぐにでも美咲のそばに駆け寄ってやりたい気持ちはあった。しかし不器用な性格が邪魔をして、どんな顔でどんな言葉をかけてやればいいのか、思い浮かばずにいた。
しかも彼は美咲が半ば犯されるような現場を目の当たりにしておきながら、助けもしないどころか興奮すら感覚えていたことに、ことさら罪悪感を感じ自己嫌悪になりかけていた。
彼が躊躇っている間に、美咲が隣室を出て1階に下りて行くのが分かった。
広い間隔で聞こえてくる階段の軋み音が彼女の足取りの重さを物語っていた。
それからすぐに風呂場からシャワーの音が聞こえてきた。ここで和也は意を決して部屋を出て1階へと下りた。
階段を下りると、夕方に食事をしたダイニングテーブルの上に1冊のノートが無造作に開かれたまま置かれていた。和也はノートの中身が気になり、バスルームにいる彼女に申し訳ないと思いつつもそれを覗き込んだ。
ノートはこの民宿の売上を記録する帳簿のようだった。しかしその内容をよく見てみると通常のそれとは異質なものだと彼は気が付いた。
8月12日 天野様
18:30チェックイン
素泊まり、宿泊代サービス
8月12日 磯貝様
25:20~26:50滞在
本番(生・中)、2万円
そのノートには、和也の宿泊記録も他につい先ほどまでいた客との行為までもが売上として記録されていた。
ページを遡っていくと、本業の宿泊記録はほとんど見当たらず、町の男達と思われる客との性接待の記録がその大半を占めていた。しかも驚くことにそれはほぼ毎日のように記録されている。
和也はようやく理解した。
美咲は無理矢理に犯されていたのではない。あくまで仕事として自らの体を町の男達に提供し、その対価を得ていたのだ。
ここは表向き民宿の建前をした売春宿そのものだった。
その事実を知った彼はショックのあまり、その場から動けずにいた。
「ノート、、見ちゃったんですね、、」
突然、和也の背後から美咲の声がした。
驚いて振り返ると、そこにはシャワーを浴び終えた彼女が立っていた。
長い髪の毛先がまだ乾ききらず濡れて束になっている。
突然の出来事に和也は慌てふためいた。
『す、すみません! 開いてあったからつい、、』
「私のこと、軽蔑しちゃいますよね、、」
『. . . . .』
和也は“そうだ”とも“違う”とも言えず、沈黙するしかなかった。
「天野さん、、さっき覗いてたでしょ?」
『、、すみません、、やっぱり気付いてたんですね、、』
「私ね、天野さんだけには知られたくなかったんです、、でも、見られてるのに気付いた途端、もうどうでも良くなっちゃって、、」
『美咲さん、、どうしてこんなことを?』
「どうしてって、、海女さんの仕事だけじゃ食べていけないし、あの人と始めたこの民宿もなかなか難しくて、、私ができることっていったら、こうやって自分の体を売ることだけだから、、」
『だからって何もこんなこと、、』
「嫌々やってるわけじゃないの。お金も頂けるし町の男の人達もみんな喜んでくれてるわ」
美咲がやや語気を強め言い訳じみた反論をする。
しばしの沈黙が流れた後、美咲が続ける。
「私、、若い頃は東京にいたんです。風俗で働いてたの、、」
『え?風俗?』
「ええ、、キャバクラ、ヘルス、ピンサロ、、最後はソープまで、ひと通りはやりました、、」
『どうして、そんな、、』
「借金です、、その頃、ホストに貢いじゃってて、、」
『借金返済のため、、ですね』
「ええ、働いても働いても借金だけは増えていって、、でも、あっけなく捨てられたの、、」
『美咲さん、、そんな過去が、、』
「それで夜逃げ同然であてもなく東京を出て、、ほんとは海で死のうと思ってたんです、、それで偶然たどり着いたのがこの町だったの、、」
『そのときに旦那さんと?』
「ええ、あの人はよそから来た私を何も言わずに受け入れてくれました。この町に来た理由も、過去のことも一切聞かずに、、私は彼と出会って救われたんです」
美咲が感傷に浸るように目線を落とした。
『美咲さん、、俺、美咲さんのこと好きになりかけてました、、、』
「ありがとう、、私も天野さんのこと好きよ、、でもそれは亡くなったあの人に似てるから、、そんな理由じゃ天野さんに失礼よね」
『美咲さん、、』
“そんな理由でもかまわない”と和也は喉元まで言葉が出かかったが、美咲の目から涙がこぼれるのを見て、言葉が続かなかった。
「ごめんなさい、、悲しいわけじゃないのになんでかな、、ねぇ、もうこんな時間、、今日はもう寝ましょ、、おやすみなさい」
『、、おやすみなさい』
美咲は静かに1階の自室へと下がっていった。和也はそんな彼女を引き止めることなく2階の部屋に戻った。
2階の隣室から漏れるピンク色の灯りはまだついたままだった。
つづく
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