奉納演武会が終わり、季節は秋を迎えていた。さすがにいつまでもウソの整骨院通いを続ける訳にもいかず、マッサージを受ける程で週に一回、麗美さんに会いに行く程度になった。とはいえ、麗美さんとの関係が疎遠になる訳がなく、電話でほぼ毎日話すことは出来たし、週に一回は待ち合わせてホテルの逢瀬を楽しんでいた。
D公園の駐車場ので待ち合わせ。麗美さんの車で郊外のラブホテルに向かう。当時のラブホテルは何となく背徳感が漂っていて、密会しているという雰囲気にドキドキしたものだった。
そうじゃない日は当然道場での稽古。W館長直々に稽古をつける子どもクラスから参加させていただく。
小学生たちの稽古のサポートは色々な気づきがあって面白い。子どもによって指導の伝わり方が違うので指導方法の練習をしたり、子どもの中に自分の弱点を見つけたり。教えることで学ぶことは数知れない。T先輩の「〇〇はロリコンだから子どもクラスは天国だろ」という揶揄はさておき、僕は幸せな空手ライフを満喫している。
「押忍、〇〇先輩。組手の稽古をお願いします」
8:00までの稽古が終わり、W館長が帰った後は自主稽古の時間だ。各々が自分のしたい稽古に汗を流す。僕が帰り仕度をしようとしていた時、河田恵里奈が頭を下げてきた。
彼女は高校一年で僕の一個下だ。長身のキリッとした雰囲気は近寄りがたい雰囲気で、言葉遣いや仕草が真面目な性格を物語っている。最近初段を取ったばかりだが、空手のセンスがあるのだろう。他の門下生も一目置いている。彼女目当てで入門してくるお調子者も少なくないが、だいたい彼女の上段回し蹴りを喰らって退会していく。
「いいよ。これ飲んでからでいい?」
スポーツドリンクを見せて、汗をタオルで拭く。
「押忍。お願いします」
恵里奈は一礼するとコートに向かい、跪座で待っている。めんどくさい奴だな、と内心思った。
僕は恵里奈が苦手だ。妙に頑なで融通が効かず、冗談も通じないタイプ。柔軟性があって動きは綺麗だけど、余裕というものがまるで見られない。時々僕との組手を頼みにくるが、僕より強い先輩はザラにいるだろうし、僕を指名してくる理由がわからない。
コートに立ち、恵里奈と向かい合う。帰り支度をしていた同門生がギャラリーになって結果を見守る。T先輩は相変わらずで「頑張って恵里奈ちゃん!〇〇なんかノシちゃって!」と声援送っている。I先輩がT先輩を窘める。
「お願いします!」
甲高い恵里奈の声が道場に響く。彼女の空手は真っ直ぐで正直読みやすい。手の内が読めるので、負ける気はしない。
恵里奈の右上段逆突きから右中段蹴りのコンビネーションを躱し、脇に右下段突きを打ち込む。恵里奈がそれをガードし、お互い間合いを取る。いつもの恵里奈ならここで畳み掛ける様に攻撃を仕掛けてくる。が。
『そうか。そうきたか』
恵里奈は僕の攻撃待つかの様に、絶妙な間合いを取ったまま様子を伺っている。後の先を取るつもりだ。
『それなら術中にハマってやろうじゃないの』
恵里奈の息を吸うタイミングを図り、一気に間合いを詰める。呼吸を読まれやすいのは恵里奈の致命的な弱点だ。
恵里奈に休ませる暇なく、ショートレンジの突き蹴りをかます。防戦一方になり眉を顰める恵里奈。うまくさばいているが、攻撃に転じられない苛立ちが顔に出ている。その時、恵里奈が僕をはっきり睨みながら呟いた。
「負けない。年増に汚された先輩なんかに負けない!」
『え?』
攻撃の手が鈍った。その刹那恵里奈の正拳が脇腹にヒットし、僕は崩れ落ちた。どよめくギャラリー。綺麗に脇腹に入ると呼吸が出来なくなる。I先輩が駆け寄って背中を叩いてくれる。
「試合中に相手から気を逸らすな!死ぬ気か、馬鹿者!」I先輩はいつも優しくて厳しい。
恵里奈は倒れた僕を汚い物でも見るかの様に見下していたが、プイと振り返るとそのまま更衣室に向かってしまった。
『年増に汚された先輩』
そのセリフを頭の中で繰り返す。脇腹の痛みよりも、そのセリフの方が何倍もダメージが大きかった。
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