彼、康治は彼女、麻由美を街外れの小さなバーへと招待した。
彼はタクシーで彼女の家まで迎えに行く。
康治「どうぞ!」
麻由美「・・今晩は・・」
彼女は仏頂面で車に乗り込んで来た。
康治「ええと・・」
「麻由美さん、お酒は大丈夫かな?」
と彼が優しく聞くと、彼女が怪訝そうな表情で応える。
麻由美「えっ、ええ!」
「少しだけなら・・」
多分彼女は、彼が気安く名を呼んだのが気に入らなかったのであろう。
一言だけ応えた後、横を向いて車窓を眺めていた。
タクシーは10分程走って目的地に到着する。
ここは彼が偶に使う、小洒落たバーであった。
中に入ると客が二人、カウンターの隅で楽しそうに喋っている。
そして粋なマスターが出迎えてくれた。
マスター「ようこそいらっしゃいませ!」
彼はおしぼりを差し出してにっこりと笑う。
マスター「○○様、今日は何を召し上がりに?」
康治「麻由美さん?」
「ビールでいいですか?」
麻由美「えっ? あっ、はい!」
康治「マスター、例のビールを!」
マスター「かしこまりました!」
マスターは奥に有る冷蔵庫から見た事も無い様なビールを取り出して、グラスへと注ぐ。
マスター「どうぞ!」
彼は乾杯をしようと彼女へグラスを差し出すが、彼女はそれを拒否した。
彼とマスターは目を合わせて肩をすくめる。
康治「まっ、取り敢えず飲みましょうか?」
彼はごくごくと喉を鳴らしてビールを飲み込んで行く。
彼女はそれを見て少し安心したのか、ちびりちびりと口を付けて行く。
このビールは飲み口は軽くて旨いが、アルコール度数が滅法高かった。
彼女は喉が渇いていたのか、その後くいくいと喉を潤して行く。
良い感じでアルコールが周って来たのか。
またまた彼女が話の口火を切った。
麻由美「あの・・・娘と・・」
「娘と別れて頂けませんか?」
彼女は一直線に彼を見つめている。
その視線に彼は応える。
康治「別れる?」
「いきなり何の話ですか?」
麻由美「とぼけないで!!」
彼女が大声を出すと、店の中の視線が集中してしまった。
彼女は、その場を取り繕う様にビールのおかわりをする。
麻由美「あの、ご主人?」
「もう一杯、頂けます?」
彼と奥に居るメガネと帽子とコートを着た男性と、ひげのお兄さんは元の所作に戻って行く。
そして間を開けて彼女が再び口を開く。
麻由美「あの・・ごめんなさい・・」
「私、直ぐ感情的になって仕舞って・・」
康治「ああ、いえ、私も・・」
「言葉足らずでした・・」
二人の間に小さな時間が流れる。
すると彼女が、また口を開く。
麻由美「あの・・良くないと思うんです」
「娘は夫の有る身ですし・・」
「私は彼女の事が心配で心配で・・」
彼は彼女に秘密を知られている。
彼は何処までバレているのかが知りたかった。
康治「何処で見たんですか?」
「私達の事を?」
彼女は嘘を吐いても仕様が無いと思い、本当の事を話した。
プールでの一件である。
麻由美「全て見ました!」
「上のギャラリースペースから・・全てを・・」
彼は納得した。
二人は尾行されていたのだ。
彼は、その点を逆手に取って攻めて行く。
康治「尾行をしていたんですか?!」
「私たちを!!」
「勝手に!!」
彼は強い口調で訴える。
彼女は、その言葉の勢いに怯んで圧倒されてしまう。
麻由美「ええっ? でも・・だって・・」
彼女は二の句が継げ無くなってしまった。
交渉事は勢いで決まって仕舞う。
彼は畳み掛けて行く。
康治「貴女には可愛い娘の不倫としか映らないのかもしれない」
「そして相手の男は・・」
「憎い悪者でしか無い!」
麻由美「そっ、それは・・・」
康治「だがもし、私の方が誘われたのだとしたら?」
麻由美「ええっ???!!」
康治「貴女の娘さんの方から誘って来たのだとしたら?・・・」
麻由美「そんな・・そんな馬鹿な?・・」
康治「今!・・・」
「今、馬鹿って言いましたね!!」
麻由美「えっ?えっ? 私、そんな事・・」
「言って・・ません・・」
康治「い~や!聞こえました!」
「貴女は、碌な事もせずに私を愚弄している!」
「私は貴女を糾弾します!!」
そこまで云って彼は黙った。
彼女は既に泣きそうな顔をしている。
形勢は完全に逆転した。
彼に、娘の方からと云われて彼女は極度に混乱していた。
最早この状態は、彼の思い通りになりつつあった。
麻由美「じゃあ、どうすればいいの?!!」
「わたし、だって・・・」
「私だって、頑張って来たのよ!!」
この期に及んで、彼女の云う事は支離滅裂になりつつあった。
彼は、そんな彼女を捉えて頃合いだと見切った。
康治「もう、この話は止しましょう!」
彼は勝手に事を収めて仕舞う。
彼女の心はもう、バラバラであった。
それに加えて勢いで煽ったビールが極度に効いて来た。
彼女は目をぐるぐると回して、ぐったりとして仕舞う。
マスター「大丈夫ですか?」
「タクシー、お呼びしましょうか?」
康治「ええ!すみません」
「お願いします!」
彼はこの仕事の仕上げに掛かって行く。
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