第二子出産の時も、美佐子は熱心に俺のチンポを扱いて、精液を搾り取っていた。
そして、解禁されたセックスで俺のクリ責めのクンニに、
「ウアァァァァァ~~勘弁してください!頭が、おかしくなりますぅ~~~」
と叫ぶと、俺の顔に愛液を噴きかけながらガクガク痙攣してアクメに達した。
「ううう・・・恥ずかしい・・・」
「恥ずかしくなどない。惚れた女が俺のすることで快感に酔い痴れてくれるなんて、男冥利に尽きるというものだ。」
「そんな・・・快感に酔い痴れるだなんて・・・はしたない・・・」
「はしたないって、お前、俺に大股を広げてマンコを晒しているんだぞ。こんな事、夫婦ならではの秘め事で、夫婦のの楽しみではないのか?夫婦の営みは楽しくないのか?」
「夫の性欲に応えるのは、妻の役目ですから・・・」
「義務感でセックスをするんじゃない。もっと楽しめ。」
そう言って、美佐子に抱き付いて、ヌルヌルのマン穴にチンポを入れて、突き上げた。
「アァ・・・アァ、アァ・・・ハアハア・・・アァアァ・・・・」
必死で快感と戦う美佐子を見ていると、何だか俺が美佐子を苛めているような気持になった。
美佐子の最も感じるGスポットを亀頭で突いて、引き抜くときはカリで擦り上げると、
「ンアアアァァアアアァァァァァァアアァアアァアアァァァァァァァ」
シーツを握りしめ、仰け反り、激しく痙攣しながら美佐子はアクメに気を遣った。
美佐子31歳、女の悦びを知った。
その後の美佐子は、恥ずかしがりながらも、次第に快感に反応するようになっていった。
地味で大人しい綺麗な奥様はセックスで淫乱にならないがモットーだった美佐子は、相変わらず初めのうちは耐えていた喘ぎだが、堪え切れずに喘ぎ始まると、耐えることを諦めてアクメに耽溺するようになった。
その後、とても恥じらう美佐子がとてもいじらしく、可愛かった。
見合い結婚だったが、俺は美佐子絵の愛しさがあふれ、美佐子もまた俺に愛情を注いでくれた。
父と母でいるときは、美佐子は地味で大人しいお母さんだったが、二人きりになると、仲睦まじい夫と妻になった。
年齢を重ねても恥じらい、快感への抵抗は止めず、抵抗虚しくアクメに呑み込まれていく美佐子を楽しむようになった。
子供達が巣立ち、親としての役割を終え、俺も美佐子も五十路になって再び二人で暮らすようになった頃、俺は美佐子に縄をかけた。
「何なさるの・・・」
「新しい世界に連れて行ってあげようと思ってね。俺も還暦が見えてきた。いつまでもチンポが役に立つわけじゃない。」
「止めて下さい・・・」
美佐子の抵抗が、本気の抵抗じゃないように感じた。
人一倍恥じらう美佐子は、羞恥が快感に繋がる被虐の心を持っているように思えた。
俺に感じさせられて、強制的にアクメに導かれたと思うことで、自らの淫乱を否定してきた美佐子には、不可抗力の快感であればあるほど素直に感じる傾向があるような気がした。
俺に縄をかけられ、強制的に開脚させられ、女としてはこの上ない恥ずかしい体勢で縛られて、マンコを悪戯される美佐子だった。
注射器のような器具でクリを吸い出し、マンコには電動で振動する淫らな道具を突っ込まれ、襲いくる快感の波にもまれて喘いだ。
注射器のような器具を外し、吸い出しきったクリを振動させると、愛液を噴きながら淫らに喘ぎ、気を失った美佐子だった。
縄を柔肌に食い込ませ、性の快楽に耽溺する美佐子の姿を、デジタルカメラという魔法のような道具で撮影した。
美佐子を写したデジタルカメラの画像は、今、見返すととても淫らだ。
五十路になっても地味で大人しい淑女だった美佐子のマンコは、真っ黒に爛れて、毎回注射器のような道具で吸われ続けたクリは真っ赤に肥大し、桃色のマン穴の上で震えていた。
マンビラの黒、クリの赤、マン穴の桃色のコントラストが淫らな五十路女の大股開きの間で鮮やかに濡れ光っていた。
そのマン穴から流れ出る白濁液は、俺の精液だ。
何とも淫らで、何とも艶のある美しい女は、俺が愛した美佐子だった。
間もなく、美佐子の七回忌がやってくる。
6年前、62歳で交通事故に遭い突然この夜を去った美佐子の思い出は、これからも俺の心に残り続ける。
さよならも告げることなく去った美佐子の淫らな画像は、暫く俺の夜のお供だった。
亡き妻で射精するのも俺の愛情だと信じていた。
俺も今年73歳になる。
もう、チンポも役に立たなくなった。
先日、もうすぐやってくる美佐子の七回忌を前に、この美佐子の淫らな画像データを記録したCD-Rをシュレッダーにかけた。
俺が美佐子の元へ逝った後、地味で大人しい美佐子の痴態をこの世に残さないために・・・
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