大学1年が終った時、マネージャーに呼ばれた。
するとそこへ真紀さんがいて、
「このお客様が、お前を身受けしたいと言ってるんだが、どうする?店側との移籍金協議は終わったから、後はお前の今後の協議だ。もし、身受けされるなら、今日で最後のバイトになるからそのつもりで・・・」
真紀さんの俺への条件は、童貞をくれることと、大学卒業までの3年間、専属愛人として囲われる事で、第三者への貸し出しにも応じることだった。
それで月額10万円は悪くないと思ったから、俺は身受けに応じた。
俺は木造の安アパートの他に、鉄筋コンクリート造のワンルームマンションを与えられた。
もちろん、家賃は真紀さん持ちだった。
8畳ほどの広さのマンションにはダブルベッドが置かれて、完全にセックス部屋だった。
「ボクちゃん、童貞、私にくれるのよね・・・」
真紀さんがバスタオルを外すと、若干緩んではいたがとても女らしい46歳の熟女の裸が目に飛び込んだ。
ツンと上を向いた乳首に目が行って、一気に勃起した。
真紀さんは足をM字にして、指をV字にしてマンコを広げて見せた。
「童貞のボクちゃん、ほら、よく観察なさい・・・」
こげ茶色のビラビラがめくれて、ピンクの穴がぽっかりと開いていた。
「ここ、クリちゃん。少し吸うと中身が出るから、そこを舌の先で撫でるように舐めるのよ。強く吸うと痛いから、優しくね・・・」
言われた通り、真紀さんのマンコに唇寄せて、何とも言えない匂いのする穴の上のクリを吸いながら舐めた。
「そうそう・・・吸ったら少し上に引き上げるようにすると中身が出やすいの・・・アッ・・・アァン・・・イイ~~」
顎がつかれるほどだったから、15分は舐めていたと思う。
真紀さんは、物凄い声で喘いで身を捩り、たくさんの愛液を噴いていた。
「アァァァァァ~~ボ、ボクちゃん、そろそろ・・・」
と言うと、真紀さんはスキンを俺のチンポに被せて、足を開いた。
俺は、生まれて初めてマンコにチンポを入れた。
温かく包まれた19歳のチンポが、教えられずとも腰を前後へ動かせと脳に指令を出した。
「アァン、アン、ボ、ボクちゃん、もっとゆっくり・・・そう、初めはゆっくり、イク時に早くすればいいの・・・アァン・・・硬い・・・大きい・・・」
スキン越しだから持っていたので、もし、生入れだったら絶対にすぐに果てていたと思った。
真紀さんのマンコを出入りする俺のチンポを不思議そうに見ていたが、腰の動きに合わせて揺れる真希さんの乳房や、真紀さんが感じている顔の美しさにも気づき、セックスの神秘的な雰囲気を感じていた。
セックスは繁殖するた物行為だが、俺は真紀さんい子供を産ませようとは思っていないし、スキンをしているから妊娠はしない。
では、なぜ母親のような熟女とセックスしているのか?なぜだろう、気持ちいいからか?などと考えながら腰を動かしていた。
スキンの中に発射して、一回戦を終えた。
この日は二回戦までやって、解放された。
週1,2回、真紀さんから連絡があってマンションに出向く生活を続けていたが、ある時、部屋に行くと、以前チェリーに真紀さんと来ていた見覚えのあるご婦人がいた。
「ふふふ・・・覚えている?私ね、久子っていうのよ。43歳。真紀さんが若い子貸してくれるっていうから・・・」
シャワーを浴びて出てきたら、
「早く舐めてぇ~~」
とマンコをめくって待っていた。
真紀さんよりもエグイドドメ色マンコをしゃぶり、真紀さん仕込みのクリ吸い舐めをした。
「アァ~~もうダメェ~~」
久子さんはスキンを口に咥えるようにして、俺のチンポに器用に被せると、俺に跨って腰をグイングインと回した。
「フィ~~硬い大きい奥につくぅ~~~」
顔をくしゃくしゃにして、乳房をブランブランと揺らして喘いでいた。
もう、チンポが折れそうになるほど激しいグラインドに、チンポの感覚さえマヒしてきた。
すると、久子さんは後ろに仰け反って倒れていったので、俺はチンポが折れると思って慌てて起き上がって反対方向で正常位になった。
グッタリしている久子さんが、イッているということも知らず、腰を激しく振って感覚のマヒしたチンポで射精しようとしたが、痺れたように不感になって諦めてチンポを抜いた。
暫くすると久子さんが起き上がって、
「ああ・・・こんな若い子にイカされちゃった・・・」
と微笑んだ。
その後、射精していないチンポは、当然久子さんにもう一度喰われたのは言うまでもない。
俺は久子さんだけでなく、真紀さんの知り合いの40代50代の熟女数人の相手をしていた。
真紀さんとは週1,2回、真紀さんがチェリーに連れてきたことがあって見覚えのあったご婦人は久子さんの他に3名、それぞれ月2,3回お相手していた。
それ以外では、真紀さんがたまに行くカラオケスナックの50代のママのマンションに出張させられたことも1か月に1回はあった。
とても綺麗な方で、閉経していたから中出しさせてもらった。
それ以外でも、真紀さんとどういう関係なのか、ホテルへ出張させられたこともあった。
その時は殆どが30代の若いご婦人で、喫茶店で待ち合わせてホテルに行った。
1回ポッキリの方もいたが、数か月に1回顔を合わせた方もいた。
そんな中でひとり、俺が21歳の時にシャレにならなかったご婦人がいた。
待ち合わせの場所には大人しそうな30代半ばの小柄のご婦人がいて、なぜか真紀さんと久子さんも一緒だった。
ホテルに着くと、裸になった途端シャワーも浴びる前からベッドに押し倒され、大の字にさせられてベッドの四隅に縛られてしまった。
何が始まるのかと思ったら、手コキで勃起させられて、そこに、30代半ばのご婦人が跨って、俺の生チンポをマンコに呑み込んだ。
クイックイッと腰を振り、虚ろな表情で俺のチンポを味わっていた。
大人しそうな顔が次第に破顔になり、喘ぎ声が漏れてきた。
「あ、あの、生なので、そろそろ正常位になるかスキンをしないと危ないですよ。」
と言うと、真紀さんが、
「いいのよ。この人、赤ちゃんが欲しいのよ。旦那さん、種無しでね、まあまあ名の知れた大学生のボクちゃんの精子だったら、まあまあの子が出来るでしょ。旦那公認だから大丈夫よ。でも、どこの誰かは旦那も彼女も知らないでいるというのが条件だから、マンションは使えなかったのよ。さあ、見事孕ませてあげなさい。」
冗談じゃないと思った。
しかし、もう、射精しそうだった。
歯を食いしばって耐えたが、跨っている奥さんが、
「お願い、精子を分けてください・・・」
と言って、いきなり唇を重ねて舌を絡ませてきて、俺は生まれて初めてのディープキスに蕩けてしまい、30代半ばのご婦人のマンコの奥に精液を注いでしまった。
「ああ~~~・・・」
あのご婦人が孕んだか否かは、どこの誰かも知らないのでわかりようもなかったが、この世に20代半ばになる俺の知らない子供がいる可能性があるのだ。
俺は、真紀さんやその仲間たちの旅行の相手もさせられた。
まるで親子の旅行なので、一見気にも留めなかっただろうが、チェックイン早々から夜、翌朝と轟く熟女の淫らな咆哮は、親子に非ずことを知らしめたであろう。
そして、チェックアウト後にゴミ箱に残った大量のティッシュがそれを裏付けていた。
俺は、大学の4年間、20人以上の女性とセックスを経験してきたが、恋愛経験は皆無だった。
大学を卒業して故郷へ戻るとき、例のマンションでお別れ会が開かれた。
真紀さんとその仲間たちと俺の6人で、素っ裸で宴会が始まった。
時々俺のチンポに悪戯したり、俺にマンコを弄らせたりしているうち、熟女5人が横になって股を開き、順繰りに挿入して10回ずつ腰を振ってゆき誰で射精するか、中出しロシアンルーレットをした。
真紀さんも49歳になっていたので、もう妊娠はしないとは思うが、久子さんは46歳だったし、一番若いご婦人は43歳だった。
冷静ならそんな危険な遊びはしなかったが、酔った勢いで始まってしまった。
43歳から49歳の熟女のマンコは人それぞれ、使い込まれた穴が似れて光って並んでいた。
入れた感じも、並べて入れて比べるとかなり違った。
キツさ、深さ、締まる場所、蠢く人もいればただ締めるだけの人もいた。
10回の腰振りもゆっくりなので、一周するのに1分くらいかかった。
「アァ~ン・・・アッアッ・・・アンアン・・・アハ~ン・・・ンアッンアッ・・・」
啼き方もそれぞれに、学生最後のセックスを5人の味比べで楽しんだ。
15分以上過ぎたら、射精したくなってきたので、少し調整に入った。
ここは、一番無難な49歳の真紀さんのマンコに射精するのがベストと考えて、真紀さんの次の人からガン突きし始め、真紀さんまで必死で我慢して、真紀さんのマンコにドピュドピュドピュ~~っと注ぎ込んだ。
「ンアァアァ~~~・・・」
みんなそれぞれ感じてはいたが、熱い精液を注がれた真希さんがグッタリしていた。
「やっぱり真紀さんでイッたね。ボクちゃんの飼い主だもんね。うわぁ、いっぱい出したのね。真紀さんのオマンコから凄いいっぱいの精液が流れ出してるわ・・・」
みんなが真紀さんのこげ茶のマンコを覗き込んでいた。
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