妻はオナニーで逝った後も私を求めてきた。
その日の夜は二回妻とはセックスをした。
一回目は、騎乗位で妻は自分自身の快感のポイントに合わせて腰を振り続けた。
私も一回妻の口に出していたので、射精までに多少は時間をかけることが出来たが、やはり妻の中が求愛モードになった瞬間には耐えることが出来ず、妻が逝く前に私の方が先に果ててしまった。
妻は私が先に逝ってしまったことに少し不満そうな顔をしていたので、私はすぐに妻を愛撫し、二回目はバックの体位から妻を責めた。
大和さんから聞いていたが、妻はバックの体位が好きなようで、後方から私のモノを中に挿入すると、妻は大きく腰を動かして絶頂を迎えることが出来たようである。
以前、妻はバックの体位は動物みたいでちょっと苦手だ、と言っていたが、実際には羞恥心が刺激されることで、妻自身も絶頂を迎えやすくなっているのだと思う。
バックで逝く時、妻は
「アアアアアッッ!!ダメッ!!!パパ!!スキッッ!!アイシテルッッ!!アアアアアアアアアアッッ!」
と普段の妻なら絶対に口にしないようなことを言いながら絶頂を迎えていた。
妻のことを知る人間が、今の淫らな妻を見たら、人格が変わってしまったのではないか、と勘違いするくらいに妻は変わった。
逝けなかったことに対して不満そうな顔をすることはなかったし、何より理性が常に先行していたのが、今では女の本能を隠すことなく晒しているのだ。
二回目の愛情を妻に注ぎ終わった時、時刻は既に3時を回っていた。
私は2回目の営みが終了した後、ふと大和さんと妻が最初に愛情交換をした、キャンピングカーでの出来事が頭をよぎった。
あの日も確か二人の営みが終了したのは3時を過ぎたくらいだっただろうか。
しかし、二人はあの日、5回も愛を紡ぎあっていた。
そして、妻は何度も何度も絶頂を迎えていたにも関わらず、大和さんは妻を満足させるまで愛情を注ぐことを耐えきっていた。
世の中には努力だけでは越えられない壁というものはいくつも存在する。
男として女を悦ばせる力もその一つだと思う。
テクニック等である程度のカバーは出来たとしても、自身のモノで女を満足させるのは、持って生まれた大きさや形が関係する以上、これは努力だけではなかなか超えることは難しい。
大和さんに対する嫉妬心が芽生えなかったと言えば、それは嘘だろう。
しかし、大和さんの存在がなければ、今の私の目の前にいる妻はいなかっただろう。
妻の女をここまで覚醒させたのは大和さんなのだ。
そう考えれば、妻はもう大和さんの女になったのだ。
私は大和さんの女に興奮し、感謝し、嫉妬した。
色々な感情が私の中でうずまき、私はベッドで寝始めた妻を見ながらTシャツとハーフパンツを履いて一階の寝室へ入った。
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