「もしもし?大樹アカデミーの西崎です。あ、タクマ君?今日はどうしたの?今日は来月からのクラス分けテストだったのに。」
1日の仕事の終わりは、予備校の授業を欠席した生徒への電話がけ。状況の確認と叱咤激励して次の授業に気持ちを向けさせなければならない。
「あ、西崎チューター。すみません、......ちょっと、色々あって。」
「色々って......、タクマ君。受験勉強以上に大事なことは、少なくとも今はないんじゃない?また、スランプだぁ~って言って、ネットに逃げてるんでしょう。」
「......そんなことないけど。でも、確かに面白い動画を見つけて、ちょっとはまってはいます。」
「もう秋なんだから、ここからは現役生も伸びてくるわよ!さすがに今年は決めてくれないと、せっかく遠くから出てきてるんだし。」
「......。」
「いい?明日は必ずいらっしゃい。授業の後で学習の進み具合の確認するからね。帰り残ってね!」
「また、面談スかぁ。」
「そうよ!三浪したら困るでしょ。ここで踏ん張らないと。」
「はぁい。分かりました。」
「分かればよろしい。じゃあ明日、待ってるからね、タクマ君。おやすみなさい。」
「......おやすみなさい、西崎チューター。
......玲子さん。」
「!?」
聞き間違えだろうか?
確かに「玲子さん」と、タクマが発音した気がする。予備校での私は、西崎凉子という本名を名のっている。同僚も担当生徒も、皆、私を「西崎チューター」と呼ぶ。下の名前で呼ばれることは、ほとんどない。
れいこ、と、りょうこ、を聞き間違えただけよね、きっと。
私は自分に言い聞かせる。
杉谷タクマは、今時珍しい二浪の予備校生。地方の出身だが二浪目になって背水の陣をしき、親元を離れてこの予備校に通っている。彼の住む地方では、適当な予備校がなかったそうだ。
だから尚のこと、今年は合格させなくては。
彼と同い年の大学2年生が、同じ予備校でアルバイトしているというのに、タクマは志望校の合格圏内にもまだ届いてない。
同い年の気楽さからか、バイトの学生ともタクマは仲が良かったけれと、立場は全く違うのだ。卑屈にならないのが彼の長所ではあるが、少しは焦ったほうがいいのに、と私のほうがやきもきしていた。
翌日、授業の終わる時間を見計らって、タクマを面談室に引っ張っていく。
長い手足をもて余すように、崩れた姿勢で椅子に座る。
「ほら、中学生じゃないんだから不貞腐れない!誕生日来たからもう二十歳でしょう?タクマ君。生活のリズム、どうなってる?朝型にしていかないと、勉強の効率悪いよ。」
「西崎チューターって、結婚してるんですよね。」
タクマは、全く噛み合わない話をし始める。
「してるわよ。子供も二人。だから仕事頑張らないと。タクマ君に合格してもらわないと困るのよ。」
「結婚してて、お母さんなのに......、いいんですか?あんなことしてて。」
「。。。どういう意味?」
タクマは意味深長な笑いを浮かべると、声を潜めて話を続ける。
「おもしろいサイトを見つけたって、昨日電話で言いましたよね。エッチな小説を書いてる熟女が、その小説を朗読してくれるんです。アダルト動画は見慣れてるけど、また違った興奮があるんですよ。」
「......それって、アダルトサイトでしょう?貴方は見ちゃいけないんじゃないの?」
くくくっ、とタクマが笑いをこらえて私を見る。
「僕は成人ですよ。今、チューターもそう言ったじゃないですか。」
。。。血の気が引いてくる。
じゃあ、この子が。。。。
「最初は、似た声だなぁと思って、かまをかけたんです。でも、指輪をした手の映像を見て確信しました。。。。玲子さん。。」
私は自分の左手に目を落とす。あの映像に映されたピンクゴールドの指輪を、今日もそのままはめている。
「西崎チューター。勉強、これから頑張りますから、一つお願いを聞いてくれませんか?」
私は心臓がバクバクして、何も返答ができない。「お願い」という言葉だけが、耳に残り、問い返す。
「お願い?」
(続)
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