目が覚めると、そこには加寿代さんの後頭部があり、その髪の毛が口の中へと入って来ていました。おかげで、こんな時間に目を覚ましてしまったのです。
あまり寝相のいい方ではありませんが、手を彼女のお腹の辺りに回しているあたり、眠った体勢のままだったようです。
僕は更に手を回し、眠っている彼女の背中に身体を擦り寄せます。この時間、眠りは深いようで、おばさんが起きることはありませんでした。
僕の指が、彼女のうなじに触れられます。数時間前まで激しく求め合っていたのに、観察をするように見たうなじを見て、何も知らないことを実感するのです。
午前5時前。僕は再び目を覚ますことになります。仕事に向かうため、加寿代さんが起き上がったからです。
『ごめんなさい。起こしちゃた?まだ、寝てて。』と言われ、彼女は一階へと下りて行くのです。
しかし20分後、僕は甘い香りに包まれる仕事場にいました。そこで、割烹着姿で働く加寿代さんを見ているのです。
馴れたものでした。手際よく作業をし、次々と和菓子が作られていきます。並んだ商品しか知らない僕には、それはとても新鮮にうつります。
そして6時前、僕はようやくこの家をあとにします。母が起きる前に、仕事場に向かう必要があったからです。僕は県外にいると思っているはずですから。
しかし、その夜も息子は帰っては来ませんでした。6軒隣の家に、また県外出張をしてしまうのです。
午後7時。僕を迎え入れた『和菓子 乃むら』のシャッターが閉じられて行きます。加寿代さんは『おかえりなさい。』と言い、本宅の方へと足を向けます。
暗闇に包まれていく作業場へと入った時、僕はおばさんの腕を掴みました。そして、彼女わ抱き締めるとキスをせがんだのです。
顔がよく見えないぶん、普段では出来ない行動が出来たのでした。加寿代さんは拒みませんでした。おかえりのキスを受け止めてくれました。
明るいリビングに入ると、その顔に少し驚かされます。おばさんの顔がどこか幸せで、誇らしく見えるのです。
旦那さんを失い、息子さんまでがあの状態。そんな彼女が久びさに幸せを感じています。家族を取り戻したかのように。
僕はそれが嬉しく思えました。『僕が、そうさせてあげてる。』と変な自負もあったからです。
しかし、それはただの偽りに過ぎません。それに気づかなければいけないのに、鵜呑みにした人物がここにいました。加寿代さんです。
僕も知りませんでした。お手伝いさんを雇ってでも、毎日息子の病室へと通っていたはずの彼女。それが滞り始めていたのです。
病院からの呼び出しがあっても、向かわない日もあるほど。『あそこに行けば、現実に戻されてしまう。』と思い、足が向かなくなっていたのです。
あの真面目な加寿代さんが、いつも冷静な彼女が、その間違いに気付けなくなっています。
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