別の儀式とは男子の儀式に参加する事で、それは祭り当日の集団筆下ろしの事だった。
女の子の「ヒザツキ」に対して男子には「世話人(せわびと)」と呼ばれる女性がいる。
クホウ様の祭り当日、満11歳を迎えた男子は祭り終盤に集会所脇の井戸に集められ、全員まとめて御祓を行う。
その後、褌ひとつで集会所の左の部屋に詰め込まれ、「世話人」が登場するのを待っている。
「世話人」は「ヒザツキ」と同じ様に、集落に住む35歳~45歳の女性が担当する。
他所から来た34歳以下の女性が集落の風習を理解し住み続ける事を選び、「大人の女性」として生きていくことを望む場合も選ばれる対象になる。
私が満11歳を迎えた時、同じ儀式の対象になった男子は私を含め4人。
昔、子沢山の時代では「世話人」1人に対して男子2~3人だったが、私の時は男子1人に対して「世話人」が1人になっていた。
と言っても、私と同じ年齢以外の世代の「世話人」も兼ねているので「世話人」1人に多い人で10人近くの男子が世話になっていた。
「ヒザツキ 」とまた大きく違うのが、「世話人」はお互いが誰かをしっかり認識出来る事、一生涯「世話人」であるという事、最低でも月一回は男子の性の相手をする事が定められていた。
月一回の性の相手をする事を「ジャズイ」と言う。性欲を溜め込む事は悪い事(邪)で、それを吸い出す行為なので(邪吸い)と呼んだ。
選び方は「ヒザツキ」同様、年寄衆が「札合わせ」を行い相手を選んでいた。
また「世話人」は「ヒザツキ」と違い「札合わせ」の時点で母子は外される。ここも違うところだった。
「ジャズイ」は最低月一回だが上限は無く、「世話人」の都合が付くのであれば受け入れる決まりだった。
「世話人」によっては1日置きに「ジャズイ」を行う人もいたり、男子がたとえば40歳になっても「ジャズイ」の要請があれば受け入れなければならないものだった。
聞いた話では80歳を超えた「世話人」でも相手をしたと。
また「世話人」はただ性の世話をするだけでなく、相手になった男子に親としてみられ、生涯大事にされた。
「世話人」が病気や事故で若いうちに亡くなった時は、一ヶ月後に再度「札合わせ」を行い新たに「世話人」を選ぶが、男がある程度の年齢になって「世話人」が亡くなった場合は、ほとんどの人が新たな「世話人」は遠慮し年寄衆になる。
※元投稿はこちら >>