その災害をきっかけに私を含め多くの集落の人達が隣の市や町に移った。
押し流されたクホウ様は見つかる事はなかったが、石碑だけは川の途中で見つかり、残った人達が一時的に別の場所で保管していた。
災害から長い時が経ち、私も他の土地で暮らしていた。
由美子さんも少し前に還暦を迎え、ずっと一緒にいた恭子と結婚し、2人の子供を授かった。
災害の後に集落に住む人はかなり減ったが、それでもクホウ様信仰は途切れる事はなかった。
集落に残った人達が信仰や風習を守り、私の様に他所に出た人達も時間を作っては集落に復興の手伝いをしがてら「ジャズイ」に赴いていた。
土石流を免れたヨシハルさんが先頭に立ち、自分の家を集会所の代わりにしてくれた事も大きな助けになった。
集会所と同じ様に、部屋の奥に祭壇を造り「クホウ様」を奉っていた。
流されて見つからないのでは?と聞くとヨシハルさんは
『いや、あれは「クホウ様」だ。私らがそう呼べばあれは「クホウ様」になるんだ』
と、小さな声だったが力強い口調でそう答えた。
後で他の人に聞くと石碑を見つけて運び出す時に一部分が欠けてしまったらしい。ヨシハルさんはそれを拾い上げ、自分の手拭いでくるんで「クホウ様」としたとの事だった。
実際「クホウ様」が何だったのか知る人は誰もいない。中身を見た人もいない。「クホウ様」自体曖昧なモノであれば、誰かが「クホウ様」と呼ぶならそれがそうなってしまってもいいんじゃないか…。
私も自分達が信仰してきたものが、性の風習ありきの後付けのものだと…そう考えるのも無理はないと思った。
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