「なあ、しばらくやってないし、これ(股間に手をやり)今日やってよ!」
「やだよ!忙しいし、ばっかじゃないの。いつもいつも・・・」
「給料日だってやってなかったぞ!」
「・・・」
我が家では、給料日もしくはその後2~3日の間にはHする暗黙の了解があった。
「んん?どうなの?」
「・・・ん~~ん、じゃあ、4日にしようよ。ほら、法事の打合せに行く時に貴方も一緒に行ったら、その時に・・・」
「ああ、じゃあそれでいいか・・・」
そんな会話があったのが、月末の忙しさから解放された11月1日の午前9時40分の事でした。
私の名前は裕次郎、妻は友子。お互いに59歳になる熟年夫婦でした。
私は年甲斐もなくバイア○○薬の世話になりながらも、妻とのH大好きなおじいさんですが、
妻友子はどちらかというとH嫌いの普通の主婦でした。
そんな普通の主婦に私はこれまで無理難題を吹っかけて来ました。
愛情のある夫婦間の遣り取りと自分では思っていても、彼女にとっては、
苦痛なものが多かったのではないかと思っていました。
まず、Hの時だけと言ってTバックから始まり、透け透け下着、オープンブラ、
穴あきショーツとエスカレートしていきました。
彼女の両親はもうなくなりましたが、数年前に介護が必要で実家に通う様になった時に、
私のオナニー用と言ってH下着を着ている写真撮影までOKさせてもらえるようになりました。
最初はかなり嫌がっていたフェラの顔も嫌々ながらも撮らせてくれるようにもなりました。
そしてつい最近は、そのフェラの動画(スマホで)も撮らせてもらえました。
その他にも、最近は夜Hをしづらい環境なので、Hはもっぱら昼間に家やラブホテルでしていました。
そして彼女に気付かれない様に盗撮もしていました。
更に、不特定多数の人に数年前の結婚記念日の淫らな出来事やエロ板でその姿を晒してきました。
11月1日に久々にHの約束を取り付けた私は、4日の来るのが待ち遠しく、
また、どんなH下着を着せるか思案に暮れていました。
11月4日快晴の朝、娘と孫は朝早くから出かけ、その後妻の実家に法事の打合せに出かける用意をしている妻に言いました。
「今日はこれをここから着てってね?」
「えっ、こんなの着られるわけないじゃない!むこう(ラブホ)行ってからでいいでしょう?」
「ダメ!絶対!着てってよ!お願い!!!」
「嫌だって!もう!」
「そんなこと言わないで、ね?お小遣いあげるからさ、ね?」
「・・・・・・」
「いいよね?ね?」
「・・・いくら?」
「ほら、これで!」
そう言って財布から壱万円札を1枚取り出して渡しました。
嬉しそうにしながら、
「もう・・・風邪ひいちゃうでしょうよ、まったく!」
そう言いつつ、一度来ていた服を全て脱ぎ、ブラもショーツも脱いで全裸になりました。
『やった!!!このH下着をずっと着ながら車に乗って実家でお兄さん達と打ち合わせしたり、
買い物にも行ったり・・・その後のラブホでは、どうなっているんだろう・・・』
そんな心の喜びの声が上がっていました。
両足を入れてから上に上げて、紐は私が後ろで結んでいると、ブラも着けずにタンクトップを着てしまい、
ショーツも着けずに、そのままデニム風のスパッツを穿いてしましました。
『あれ?ノーパンノーブラだ!やった!!!』
更に私の興奮は増していきました。
エロ板『罠に落ちた妻の画像です』#139以降を参照してみて下さい。
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