素人の私にも、妻の行方を追うことが相当難しくなったことは十分、理解できました。私は、弁護士に礼を言い、
探偵社を出ました。今頃、妻は萩原に連れられ、どこでどうしているんだろう・・・私は裏社会へと足を踏み入れて
しまった妻の哀れな境遇を不憫に思わずにはいられませんでした。私は、その後も毎日、仕事帰りに、萩原の店の
様子を伺いに足を運んでいました。ほんの僅かでも、妻の消息の手がかりになるものがないか・・・一縷の望みに
かけていました。妻と萩原が行方をくらましてから5日後、いつものように仕事帰りに店のそばを通ると、表の
ドアが開き、店の中に複数の人影がうごめいているのを見かけました。もしや・・・と思って私は近づき、中の様子を
伺いました。店の中は、もうすっかり片付けられていて、横づけされたトラックには、店内や2階にあったであろう
家具や電化製品、厨房器具が積まれていました。私は、トラックの運転席にいた男に、思い切って尋ねてみました。
「あのう・・・仕事中、すいません・・・」
「えっ?・・・あんた誰?」
「私は・・・この店の主人の知り合いなんですけど・・・」
「ああ・・・そういうこと・・・もしかして、あんたも金、貸してたとか・・・」
「ええ・・・まあ、そんなとこです・・・」
「気の毒だけど・・・あんたにまわる金はないなあ・・・ご覧の通り・・・この店は借金のカタに差し押さえられ
たんだよ・・・主人は消息不明・・・正直・・・この店だけじゃ、足りないんだけどなあ・・・そんなわけだから、
諦めな・・・それとも、行方を追うか・・・」
「手がかりは・・・あるんですか?」
「さあな・・・何でも、オンナを連れていったそうだから・・・今頃、そのオンナをソープで働かせて、食いつないで
いるんじゃないか・・・」
私は改めて、妻が置かれている状況の過酷さを思い知ったのでした。そして、妻からの離婚届けが着いたのは、それから
5日後の事でした。封筒の消印をみると、何と遠く福井県のある町で投函されたことがわかりました。封筒の中には、
一枚のメモが入っていました。そこには、「元気にやっています。あなたもお体に気をつけて下さい。子供たちのことよろしく
お願いします。そして、どうか幸せになって下さい。」と記されていました。私は、これを読んだ瞬間、妻の気持ちを察し、
もう涙が止まりませんでした。こうして、この手紙を最後に、妻の消息は、ぱったりと途絶えてしまったのです。
あれから5年が経ちました。この間、様々なことがありましたが、一番、心配だった子供たちも、突然、母親を失った驚き、
悲しみ、寂しさを乗り越え、何とか順調にたくましく成長してくれました。上の子は今年、成人を迎え、多感だった下の娘も
気がつけば大学に進学しました。特に下の子は、成長するにつれて妻に似てくるのがはっきりとわかり、私はそんな娘の成長が、
何より、心の支えになっていました。そして、そんな折り、私自身にも転機が訪れ、縁あって今年、5歳年下の、私と同じ
離婚歴のある女性と再婚しました。その女性に好意を持っていたものの、なかなか結婚に踏み切れないでいた私を後押しして
くれたのが、何と、娘だったのです。
「お父さん・・・もういいんじゃない・・・今度は自分のこと考えてよ・・・これまでありがとう・・・幸せになって・・・
私・・・応援するから・・・」
この娘の言葉に励まされ、私は新しい生活をスタートしました。新しい妻は根っから明るい性格で、子供たちのとの関係も
良好・・・本当に久しぶりに、我が家に4人で過ごす明るい食卓が戻ってきました。5年前、突然私たちの前に現れた悪魔の
ような男、萩原によって、私たち一家の幸せは踏みにじられ、大切なものを奪われてしまいました。すべてが萩原の計算通りに
進んでいき、私は、それを食い止めることができませんでした。今思えば、私を駅の階段から突き落としたのは、萩原に
間違いないと思っています。私は、5年ぶりに訪れた家族の平安に思い切り浸りながらも、心の片隅ではいつも・・・別れた
妻のことを思っているのです。自分が、幸せを実感すればするほど・・・別れた妻への思いが募ります。「果たして、今頃、
どうしているのか・・・?」「幸せに暮らしているのか・・・?」いやそんなことより「しっかりと生きているのか・・・?」
一人になるとつい、このように永久にこたえがないであろう・・・やるせない問いかけを自分にしている私です。そして、
その度に私の脳裏に浮かぶ妻の顔・・・あの別れの日、私の問いにかけに対して、頷きながら見せた悲しい笑顔が今でも頭から
離れないのです・・・。
お わ り
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