『64』
清蔵とは誓約書まで交わした。
不当解雇にはあたらないし、法的にも何も問題はない。
だが、顧問弁護士という高額な報酬を貰っているにも関わらず、息子である典夫を辞めさせるのは正直気が引けたのだ。
それに、万が一それがきっかけで難癖を付けられないとも限らない。
そして何といっても幸子を思い止まらせたのは、親心だった。
やはり同じ子を持つ身としてはほっとけなかったのだ。
もちろん典夫に対する警戒心は変わらないが、そこは気丈な幸子であれば然程気にしなくてもいいのだろう。
しかし、幸子がそんな事を考えているなど今の典夫は知る由も無かった。
時刻は昼、幸子は一度もトイレに行かなかった。
(くそ!結局、午前は行かなかったか!)
幸子はこの日も外で昼食をとる予定で、外出の準備をはじめた。
(あぁ、早くこれで幸子のいやらしい姿を撮りたいぜ)
典夫はバッグからビデオカメラを取り出し、待ちきれない衝動を何とか抑えていた。
「大橋くん、ちょっと出てくるから留守よろしくね」
「はい」
幸子が事務所を出ると、典夫は急いで女子トイレへ駆け込んだ。
念のため、カメラ位置をもう一度確認する為だ。
残るは午後の数時間だけ、失敗は絶対に許されない。
「よし、これなら大丈夫だ。後は幸子がトイレに入れば・・・」
典夫はトイレを出た。すると、それと同時に事務所の扉が開いた。
幸子だった。
「え?・・・何してるの?」
幸子の問いに、典夫は声を詰まらせた。
女子トイレから出てきたこの状況は、あまりにも不自然だ。
「いや、あの・・・」
「何をしてたの!?」
幸子の追及する声は、怒気が強まっている。
「・・・あっ、電球を替えようと思いまして・・・岡山くんに頼まれていたんです」
「電球?」
「はい。でもまだ大丈夫そうです。きっと岡山くんの勘違いだったんでしょう」
それでも幸子は不審に思い、トイレの中を確認した。
だが、おかしな点は見当たらなかった。
電球の話が出た事で、自然と上に視線がいっているのだろう。
(・・・大丈夫そうね)
「と、ところで先生はどうかしたんですか?」
「忘れ物を取りに来ただけよ。戻ってきたら悪いの?」
「い、いえ。そんな事は・・・」
幸子はデスクに忘れた書類を持ち、再び事務所を出た。
典夫は、今度はしっかり幸子の車が駐車場から出たのを確認した。
※元投稿はこちら >>