第三章
_ひとりで食べる朝食は、カロリーゼロをうたうダイエット食のように味気なく感じることもあった。
_だけど、ワイルドガーデンズの懐の深さを感じさせる空間に身を任せれば、ひとりの食事も悪くない。むしろ贅沢だ。
_まだ寝起きのままの長い髪にそそと指をかけて両耳を出せば、小粒なピアスが目を覚ます。
_その輝きは、けして大人しくはない。明らかに異性を意識した誘惑の光を放つ。
_グラスの水に喉を潤し、自慢の料理には「いただきます」と語りかけて箸をつけた。
──美味しい。
_その瞬間、1オクターブくらいテンションが上がってしまった私。思わず笑みがこぼれる。
_「食べる」行為は、欲求を満たすという意味では何かに似てる。
_その答えはすでに出てるのに、口には出せない。女性ならなおさら──。
_そんな事を考えながら、紙ナプキンで口元を拭いている時でした。
_テーブルに寝そべったままの携帯電話が、メールの着信を知らせるイルミネーションを点滅させている。
──来た。
_ときめきがチャイムを鳴らして、私の胸をノックした。
_この感じ、いつかの同窓会の時にもあったような気がする。
_二つ折りの携帯電話に手を伸ばし、そっと開けた。待ち受け画面の時計は「8:22」を示している。
_私は、パンドラの箱を開けようとしていた。でもそこに罪悪感はない。あるのは強い好奇心だけ。
_はずむ親指で、無題の受信メールを開封しました。
「オリオンさん、おはようございます。あと少ししたらこちらを出発します。それと、例のモノも準備したので、オリオンさんが気に入ってくれたら僕も嬉しいです。会えるのが楽しみですね。それじゃあまたメールします。」
送信者は、密会の相手、ノブナガさんだ。
_メールの内容を何度も読み返すうちに、頭の中が熱くなっていくのがわかりました。
_「オリオン」とは、私、三月里緒(みづきりお)の事で、「ノブナガ」と名乗る男性と知り合ったのは、ソーシャル・ネットワーキング・サービスの、あるケータイサイトがきっかけでした。
──三年ほど前のこと。
_当時、私は二十七歳で、ふたつ年上の夫と、二歳になる娘と三人で、平凡ながらも幸せと言える日々を送っていました。
_不思議なもので、結婚当初は些細なことですぐ口をとがらせたり、犬も食わないようなケンカばかりしていたのに、娘が生まれた途端にそれがぴたりと止み、家族の絆も生まれた。
_ふぞろいの種がかたい殻を破って芽を出し、根っこは地面をぐいと掴んで、光合成をくり返しながら成長していく。
_目には見えないけれど、家族の絆とは、そういうものだと感じました。
_ただ、出産を機に変わったことがもう一つありました。それは、性生活です。
_家事や育児に時間をとられ、わずかな睡眠時間さえも熟睡することはできず、昼か夜かもわからないような毎日に疲れ果てていました。
_そんな私に気遣ってか、夫は私の体を求めようとはせず、だからと言って浮気するわけでもなく家族の為に尽くしてくれました。
_娘の成長とともに時間にもゆとりが出てきたある日の夜、となりで眠る夫のパジャマの裾を引っ張って「エッチしたい」の合図を出しました。
_でも、夫はあちら側に寝返りを打って「ごめん…仕事で疲れた…」と言ったきり眠ってしまったのです。
_そんなことが何度かあって、私から誘うこともしなくなりました。
_そしてまたある日の夜、小さな寝息をたてて眠る天使のような娘の寝顔を見守りながら、夫は話しはじめた。
「──あのさ、出産の時、俺も立ち会ったよな?──それで、茜が産まれて感動して一緒に泣いて。──けどさ、なんかうまく言えないけど、里緒の苦しそうな顔とか、あの光景、俺にはショッキングだった。」
_私は無言のまま次の言葉を待った。
「だから、前みたいにその気になれないというか──べつに里緒が嫌いになったわけじゃないけど──そういうことなんだ」
_途切れ途切れだけど、夫なりの精一杯の言葉が私の胸に届いた。
──沈黙の中に、茜の寝息だけが聞こえる。
_次に沈黙を破ったのは、私。
「──そっかぁ、うん、わかった。──話してくれてありがとう」
「ごめんな──」
_私はその後、少し落ち込んだけど、嫌いになったわけじゃないことを知って安心しました。
_夫の方も胸のつかえがとれたのか、微かな心変わりが見えて、月に一度きりだけど、濃密なセックスに肌をすり減らしていきました。
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