第二章
_ラフな私服に着替え終えた私は、ストーブの火を落として、1階にある食堂へ向かうことにした。
_どんな心境であれ、お腹は空く。
_部屋に残した飲みかけのコーヒーの香りが、私の後ろ髪をひいた。
──とにかく今は、なんか食べよう。
ゲストルームを後にして、階段を下りた。
_途中、誰ともすれ違うことなく暖色の壁紙の廊下を歩いていく。
_ふと足元を見ると、一匹の三毛猫が私をを追い越そうとしていた。
──ここで飼われている猫だろうか…。そういえば、夕べは見かけなかったなぁ…。
「おまえもお腹が空いたんだね」
_愛くるしいその後ろ姿に声をかけると三毛猫は立ち止まって、くるりと私の方を向いた後、にゃーうと返事をした…ように聞こえた。
_そして、私の前を歩く三毛猫に案内されるように、食堂の扉をくぐった。
「おはようございます」
_清潔感のある制服にエプロン姿の女性スタッフの応対で、私の中で朝のスイッチが入った。
「あ、おはようございます。朝食をいただきたいんですけど」
「すぐにお持ちしますので、お好きな席へどうぞ。今日は一日中、雪みたいですよ」
_すでに彼女とは昨夜の夕食の時に打ち解けて、他愛のないガールズトークに花を咲かせていたのでした。
「こんなに雪が降るのは、うちの方じゃなかなか見れないんで、遠くまで来た甲斐がありました」
──そう、私は遠くまで来た。私の事を誰も知らない場所で「密会」するために。
_早朝の食堂では、すでに数人の旅行客らが朝食をとりながら歓談していました。
_雪曇りの朝陽が差し込まない窓辺に着席した私。
_メールの着信を待ち焦がれる携帯電話をテーブルに置くと、手鏡を覗き込んで前髪を指で遊びはじめる。
_なにげなく窓越しの外の様子をうかがうと、うっすらと窓に映る自分と目が合う。
──私って今、こんな表情してるんだ。
_下級生の女子が上級生の男子に思いを寄せる初恋の頃の表情。桜色の頬、膨らみはじめる唇、幼さが消えて潤う瞳。
_その時、小梅の果肉を噛んだ時の甘酸っぱさがよみがえる。
_そんな思いに浸っている時でした。
あれ?──今のは?──
_新雪が降り積もる林の中に動くものが見えた気がした。
──早朝スキーの人かな…。でも、スキー場とは逆の方向だし…。
_確かに、この席とは反対側の窓から外をうかがうと、朝早くから稼働しているリフトの照明が点々と見える。
_もう一度こちら側を向きなおすけれど、とくに変わった様子はない。
とすると野生の動物、あるいは木の枝からざざんと落ちた雪であるに違いないと思い込んでみました。
「お待たせしました」
先ほどの女性スタッフだ。四角いトレイにところ狭しと並んだ和食中心の御膳がテーブルに華を添えた。
「うちは食事だけが自慢なんですよ」と冗談混じりに彼女は言ってみせた。
「私は食欲だけが自慢なんですよ」なんて私も返したりして。
そして二人の顔を見合わせて女笑いした。
_ふと彼女の胸元を見ると、名札が付いていることに気づいた。
そこには「庭朋美(にわともみ)」の文字。
「庭さん…ていうんですね。なかなかない名前ですよね」
「よく言われます。」
と少し照れたように微笑むと、さらに続けた。
「ここの名前の『ワイルドガーデンズ』は『庭』からとってるんですよ。ひねりのない名前でしょ?」
とんでもないというふうに私は首を横に振って、彼女に聞いた。
「…て事は、ご主人がオーナーですか?」
「一応そうですけど、趣味でやってるようなものだから。ボランティアだと思ってやってます。」
_飾らない人柄と、羨ましいほど綺麗な容姿。そこに、並びの良い白い歯が魅力に輪をかける。年齢は私と同年代くらいでしょうか。30プラマイ3歳といった感じ。
_非の打ち所がないとは、彼女のための言葉でしょう。おそらく、彼女目当てでここへやって来る男性客もいるかも。
「それじゃあ、ごゆっくり」
そう言い残した彼女は、木の床をここんここんと鳴らしながら、食堂の隅へと歩いて行く。
_私の視界に入るその方向にはトイレの扉があって、その扉の前で、先ほどの三毛猫が三つ指をついて行儀よく座っています。
_朋美さんは三毛猫を抱き上げて、そのままトイレの中へ入って行った。
──やっぱりここの飼い猫だったのね。ちゃんとトイレでできるなんて賢い猫だこと。
などと感心してしまう私。
_それはさておき、空腹が猫なで声で鳴いている。
※元投稿はこちら >>