第二十一章
_部屋の中央にガラストップのローテーブルがある。冬だというのに冷たい飲み物でも入っていたのか、結露がついた空っぽのグラスが2つ置いてあって、その中でストローが斜めに首をかしげている。
_私は片方のストローの先端を見て、妙な胸騒ぎをおぼえた。朱色の口紅のあとが付着しているあたりに、歯形がついていたのです。
──夏目さん?
_いちばん仲の良いママ友の夏目由美子の顔が浮かんだ。夏目さんは以前からストローを噛む癖があって、当然、おなじような癖がある人はたくさん居るでしょう。
_でもこれは夏目さんだ。あの三毛猫から香っていた香水の匂いは、間違いなく夏目さんがいつもつけていた香水の匂い。
_私が今日ここに来ていることを夏目さんが知っているわけがなく、私も夏目さんがここに来ることなど考えもしていなかった。
_夏目さんがこの部屋に居たのだとしたら、この女の子と接点があるはず。でも私はこの子が誰なのかわからない。
_夏目さんとこの子と二人で旅行に来たところに、偶然にも千石弘和に出会ってしまったのか?
_それとも、二人はノブナガに呼び出されて、突然ここで犯されてしまったのか?
_もしそうだとしたら、夏目さんは今どこに?この子に事の成り行きを聞き出したいところだけど、そんな精神状態じゃなさそうだし。
_何度も絶頂を迎えてしまったのか、紅くふくらんだ唇からだらしなく唾液がつたって、うわごとのようなか細い喘ぎ声を震わせて刻んでいる。
「ああ…ああん…ノブナガさん………イク…」
_彼女は確かにそう言った。そして、眉間にシワを刻んで身震いしたあと、めくれた陰唇とバイブレーターの隙間から淫らな潮水が溢れ出す。
_その一部始終を私は見ていた。汚らわしいはずの光景に見入っている自分。
──あの時と同じ感覚だ。私の自慰道具が夏目さんの美顔を汚していた、あの時と同じ。綺麗なものが汚されていく時の官能的な美しさに、心酔している私がいる。女が女に欲情することなど、私にかぎって有り得ない。そう強く否定してみても、性欲に似たものが子宮の中で大きくなっていく。
_もし夏目さんも彼女とおなじ目に遭っているとしたら、こんな感情を抱くだろうか?
_いや、夏目さんはダメ!私の大切な友達に手を出すなんて許せない!
_かといって女だけで何とかなる相手でもない。電話も通じない今、外に助けを求める事もできないなら……あ、そうだ!朋美さんのご主人なら、なんとかしてもらえるかも。
_私は部屋を飛び出して、一階のフロアまで階段を駆け下りた。
_すると、ちょうどそこに庭朋美もやってきて、私たちは合流した。
「あ、三月さん。彼にはもう会えました?」
「それが、どこに居るのかわからなくて…。それで、朋美さんにお願いがあるんですけど…」
「なんですか?」
「宿泊客のリストから彼の名前を探して欲しいんです。それなら彼がどの部屋に泊まっているかわかりますよね?」
「ええ、いいですよ。チェックインカウンターは、こっちです」
_数分ぶりに朋美さんの顔を見て、少しだけ冷静さを取り戻した私は、あることを思い出して朋美さんにたずねた。
「そういえば、電気のほうはどうだったんですか?」
「それなんですけど、自家発電の切り換えがうまくできなくて…。だから電気が復旧するまで待つしかなさそうです」
「朋美さんのご主人も、出来ないんですか?」
「──主人、どこにも居ないんです。──スタッフの姿もないし、携帯電話はまだ圏外だし。──たぶん、スキー場のほうも停電でリフトとかも止まってるはずだし、そっちに行ってるのかも…」
「──そうですか」
_希望の糸がひとつ絶たれた気がしました。今、頼れるのは……朋美さんと自分だけだ。
_カウンターの上に名簿をひろげ、そこを懐中電灯で照らしている。そして、ある人物の名前を探す朋美さんの表情を、私は読み取るように見ていた。
「センゴク…センゴク…、おかしいですね。数字のセンに、イシっていう漢字ですよね?その方はチェックインされてませんね」
「え?…そんなはずは…」
_やっぱり偽名を使っていたんだ。ほかの女の子にも偽名で会う約束をつけておいて、騙された彼女たちは体を要求されるがままに、望まない異常な性行為の前に屈して、薄汚い精液で膣を満たしてしまったのか。
_そんな思いが頭をよぎり、私は、もうひとりの名前を出してみました。
「──あの…夏目…由美子は宿泊してますか?──私の友達なんです」
「ナツメさんですか?…えーと、ナツメさんは……はい。夏目由美子さんは宿泊されてます。二名様でお部屋をとってますね」
──やっぱり──夏目さんだ。
_あの部屋に放置されてた女の子が夏目さんの連れの人なら、夏目さんも同じような目に遭ってるかも知れない。
_考えれば考えるほど心臓が破れそうになる。
「朋美さん。うまく説明できないんですけど、とりあえず私と一緒に来てもらえますか?」
_そう言って、朋美さんの返答も待たないで、私は再び二階のあの部屋を目指しました。
_早足で二階まで駆け上がると、少しして朋美さんが私に追いついた。
_不気味な静寂が漂っている。それもそのはず。夏目さんたちが泊まっているあの部屋以外は、今はすべて空いているらしい。
_実体のない変質者の気配は、いつだって私のそばにある。そして、私を犯すタイミングをはかっているようだ。
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