第十九章
_雪に埋もれた道なき道を朋美さんに先導されながら、慣れない足取りで必死について行く私。
_あらかた除雪はされているものの、雪道を知らない私はバランスを崩しながら、さしていた傘を放り投げてしまいそうにもなりました。
_本館と別館を結ぶ歩道の脇には、猫背の外灯が等間隔で立ち並び、陽射しのとどかない私たちの足もとを照らすことなく、そこにありました。
_程なくして、別館らしき建物のエントランスに辿り着いた。本館のワイルドガーデンズとは対照的に、近代的な外観が若者受けしそうだが、年配の常連客を寄せ付けない雰囲気を感じてしまうのは否めない。
_それだけではない。その異様な雰囲気の正体は停電のせいでもあるが、何とも言い表せない「気配」が潜んでいるように思えるからでした。
_私の頭の中で、気味の悪い「警鐘」が鳴り響いて、凍てつく空気をふるわせていた。
_動かなくなった自動ドアをこじ開けて中に入ると、ところどころで非常灯が頼りなく灯っていた。
「私は私の仕事があるので、三月さんは彼と一緒に電気が復旧するのを待っていてください。そのほうが安全ですから」
_そう言って朋美さんは薄暗がりの中へ消え、私はひとり取り残されてしまいました。よどんだ空気が足元に絡みつくように、とぐろを巻いていた。
_千石弘和と一緒にいることが本当に安全と言えるのか?この状況で正しい判断を下すのは難しいが、とにかく今は前に進むしかなかった。
──ちょっと待って。私は肝心なことを忘れている。千石さんのメールに従ってここに来たのはいいけど、この建物のどこに行けば会えるのかがわからない。携帯電話の電波状況はあいかわらず圏外を示しているし、停電した状態であちこち探し回るのも危険と考える。ここは朋美さんが戻ってくるのを待って、チェックインリストから彼を探してもらうしかなさそうね。
_私は少し館内をとぼとぼと歩き回って、適当なソファを見つけて腰を下ろした。停電して間もないせいか、空調は止まっているはずなのに空気は暖かい。
_わずかに残った宿泊客は部屋で待機しているのか、誰一人として姿は見えないし、朋美さんのご主人をはじめ、スタッフの姿もない。
──その時、またしても、あの嫌な視線を感じたような気がしました。私をつけ回すストーカーがこの建物内に潜んでいるとでもいうのでしょうか。冷たい隙間風が背中を撫でていくような、ぞくっとするほどの尖った視線。それが千石弘和のものだとしたら……。
_そう考えると、警戒心を高めずにはいられませんでした。
_ストーカーの多くは、元交際相手の強い嫉妬心や一方的な愛情から及ぶ行為だと言われるが、私の元交際相手も今となっては何の縁もないし、ネットで知り合った「ノブナガ」と名乗る人物像は完全に宙に浮いてしまった。
_いつまでこうしていればいいのか、不安を抱えながら身構えていると……私のすぐ目の前の物陰に……何かが潜んでいて…そこに影を落として…ゆらりと動いて見えた。
──誰か居る。
_そう確信した次の瞬間、物陰に潜んでいたものが私の前に現れた。
_私はとっさにソファから飛び跳ね、後ずさりしながらそちらを凝視した。
_そこで私が出会ったのは………
「あれ?…たしか…きみの名前は…マサムネ?」
_庭夫妻に飼われている三毛猫のマサムネでした。
「いったいどうやってここまで来たの?私が眠っているあいだに誰かに連れて来られたの?」
_人の言葉が理解できているのか、いないのか、私の問いかけに対して「にゃーう」と返事をしたあとで、喉をゴロゴロと鳴らしていました。
_私はマサムネに寄り添うようにしゃがみ込んで、暖かい毛並みを撫でてあげた。
_するとどうしたことか、マサムネの体から香水の香りが漂います。なんとなく私に馴染みのあるような、どこかで嗅いだことのある香り。
_それがいつの記憶かはわからないけど、この香水を付けた誰かが三毛猫を抱きかかえて連れて来たようだ。
_柑橘系のすがすがしいその香りを、私はよく知っている。残り香に心がほぐれていくようで、ほんの少し寂しさがまぎれたような気がした。
_私が撫でるたびに気持ち良さそうに目を細めて、三角の耳を折りたたんだりしている。なんとも愛らしいやつだ。
_すると突然、ビー玉のような目を見開いたかと思うと、私の手をするりとすり抜けて大きく伸びをした後、ゆっくりと歩き出した。
_気まぐれに歩いていたかと思えば、時々こちらを振り返って、おじぎみたいな動作をする。
_私が後を追えば先に進み、立ち止まると三毛猫も立ち止まる。これも猫の習性なのだろうか。
※元投稿はこちら >>