第十八章
「私は別館のほうへ行かないといけないので、しばらくこちらで待機しててください」
_朋美さんの話によると、自家発電の切り替え作業は手動で行わないといけないそうで、それが別館での作業になるとのことでした。ご主人と連絡もとれない為、朋美さん自ら出向いて作業をする事と、スタッフと宿泊客の安全確認をする意味もあるようです。
_別館には千石さんがいる。会うべきか、それとも会わないほうがいいのか。
_ときどき感じていた、誰かに見られているような視線と気配。もしそれが千石弘和のものだとしたら──。
_いつの間にか私は千石さんに監視されていたとでもいうのでしょうか。SNSで知り合うずっと前、すでに私たちはどこかですれ違っていたか、接触していた?
──だとしたら誰?顔見知りの誰かの可能性も捨てきれない。
_そういえば、妊娠して子どもを出産してからのことを思い起こせば、まわりの環境が変わったし、私自身も変わったし、人間関係が変わった。
_そうなると、私を取り巻くすべての男性が容疑者だ。ひとりじゃなく、複数の可能性もある。
_目的は私の体?それともお金?いよいよ犯罪の匂いがしてきた。
_出会い系サイト絡みの性犯罪が氾濫する「平成」の世。けして誰一人、汚れることなく生きていくのは困難な時代。だからといって、私は被害者になるつもりはない。
_マイナス思考が止まらなくなっていた。私は、千石弘和を性犯罪者に仕立て上げようとしていたのです。
_いろんな思いが複雑に絡み合って、私の心の中に光と闇が共存しているようだ。
「──あの、──私も別館へ行きます。──彼がそこにいるんです」
_自分でも驚くような言葉が、喉の奥から勝手に出てきました。
_会わずに疑うより、会って確かめよう。そんな思いが勝っていたに違いない。こんな気持ちになったのは、生まれて初めてかも知れない。
_今の夫と知り合って、恋をして、結婚と出産を経験して、今日までの日々は幸せに満ち溢れていました。でも、そんな毎日にも足りないものが、ひとつだけあった。それが「刺激」でした。
_波風の立たない水平線がどこまでも続いて、「幸せ」という名の退屈に私はあくびが出そうになっていた。
_ごく普通の主婦というだけで恋愛対象にならないと言われるのは心外だし、女としてもうひと花咲かせてみたい。
_そこに飛び込んで来たリスキーな情事に、不機嫌な体は興奮をおぼえていたのです。
「それじゃあ、服を着替えたら、別館のスクエアガーデンズに一緒に行きましょう」
_朋美さんのその言葉を聞き終えたあと、もう後戻りはできないと心を決めました。
_ダウンジャケットにニット帽と手袋、そしてマフラーに下顎を埋めて玄関前に向かうと、冬装備をしているとは思えないほど着膨れのない美しい体型を整えた庭朋美が待っていました。
「──さあ、行きましょう。別館はすぐそこです」
_そう言って朋美さんがドアを開けると、空と地面の境目がわからないほど白一色の景色が、私たちに迫ってくるようでした。吹雪はおさまりつつあるものの、ときどき風が止んで静けさの中で降り続く雪に不気味なものを感じるほどでした。
_なぜなら、これが一時的なものだとしても、私たちは今、完全に外界とシャットアウトされているのだから。
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