第一章
_「ねえねえ、お母さん。あの星は何ていう名前なの?」
_ひんやり透き通った空気の冬空は大きなスクリーンを作り出して、そこに広がる群青の星空を指差しながら目を輝かせる幼い女の子。
_「あの星はね、オリオン座っていうのよ」
_無邪気な問いかけに、寄り添いあたたかな微笑みを返す母親。
「とっても綺麗だね」
「うん、綺麗だね」
_言葉が生まれる度に、真っ白な息が目の前で形を作って消えていった。
_瞬く星のせせらぎに耳を澄ませては、時折見える流星の行方を見届けている二人。
_それは、遠い日の風景。
_──あれから何年の月日が通り過ぎたのでしょう。
_幼い日の私は思い出の中でセピアに染まることなく、いつまでも色褪せずに生き続けていた。
_あの日、母と交わした言葉の温度さえも冷めずに、大人になった今も私の心をあたためていてくれる。
_曇り窓をつつと指先で拭っていくと、外の景色を滲ませる結露が指を濡らして、窓ガラスをつたい落ちていきました。
_じりじり…こんこん…
_アンティークの石油ストーブの上に置かれたヤカンが、蒸気を吹き出しながら鳴いている。
_共に、古き良き時代を過ごしてきたであろう赤茶けたマグカップへと注がれるコーヒーの香りが立ち上り、黒い波紋をつくりながら息を吹きかける猫舌な私。
_もう一度、窓の外を覗いてみると、ガラス越しの庭の木々や遠くの山々までもが真っ白な雪化粧をして、見渡す限りの銀世界は絵画のように目に映る。
_ここは、山深い場所に人目を避けるように佇む宿泊施設『ワイルドガーデンズ』。
_外観もさることながら内装にいたるまで異国の雰囲気が漂い、癒やしを求めて辿り着いた旅人を迎えてくれる。
_外国には縁のない私だけど、カナダやスイスといった険しい山岳地帯に建てられた頑丈な山小屋のようにも見えて、ちょっとした海外旅行気分を味わえる。
_スキーシーズンを迎えた12月の雪の日の朝、世界中に自分ひとりしか居ないような静けさに包まれた時間だけがありました。
_夕べはなかなか寝付けず、部屋のインテリアに溶け込むように本棚に並べられた洋書を見つけると、色鮮やかに装飾された背表紙のひとつひとつを吟味して、その中の一冊を取り出して再びベッドにもぐり込んだ。
それは絵本でした。
_可愛らしい挿し絵を眺めながら子供の頃の事を思い返しているうちに、いつの間にか眠っていたようです。
_壁掛けの古時計に目を向ける。
「7時…50分か…」
_さっきから時間ばかり気にしているせいか、時間の経過はとてもゆるやか。
_私は、ある人に会うために、この雪深い土地へとやって来たのです。
_バックパックに荷物を詰め込み、電車を何度か乗り継いだ先のローカル線を下車して、人もまばらな小さな駅に着いたのが、昨日の午後。
_そこからレトロな送迎バスに20分ほど揺られて、旅の目的地である「ワイルドガーデンズ」に着く頃には雪が降り始めていました。
_そして今日、私より遅れてその人はここへやって来るのです。
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