第十章
「三月さん、これ借りるね?」
_私のアパートの狭いリビングで、夏目由実子が私の美顔ローラーで頬を撫でながら、細い脚を投げだしている。
「あ!それは──!」私が慰めに使ったやつ…とは言えず、複雑な気持ちで「──な、夏目さんは持ってないの?私、毎日使ってるけどなかなか効果ないのよね」と、上擦った声で言った。
「三月さん、そんな綺麗な顔して、なんかイヤミにしか聞こえませんけど」
_夏目さんは含み笑いをしている。
_夏目さんの美人の顔に私の膣垢がすり込まれていくというのに、その仕草から目がはなせなくなっている自分がいる。
_綺麗なものが汚されていく時にこそ、官能的な美しさを映し出す。男性のそれとは異質の美しさが、私の目の前にあった。
_そんな「あぶない気持ち」を振り払うように、私は、ある話を切り出した。
「そういえばね、ちょっと前にあのサイトでフレンズになった女の子がいるんだけど。名前言っちゃっていいのかな──ゴールドって子なんだけど──」
_長いまつ毛の下の大きな瞳を何度も瞬きさせて、夏目さんは私の言葉に聞き耳をたてる。私は話をつづけた。
「何も考えないでフレンズ登録した私も悪いんだけどね──」
「その子がどうかしたの?」
「最初は普通に掲示板とかフレンズメールで色々話てたんだけど、それが最近なんだか様子が変なの。休みの日はなにしてる?とか、旦那のほかに恋人がいる?とかしつこく聞いてくるし。あと、夜の生活の話とか──」
「なんか、私のまわりにもそういう人いる。ストーカーみたいな?」
「返事に困るよね。ほら、ブログ炎上させたくないし、あんまり強くは言えなくて。だからもうフレンズ登録削除するか、サイト側に通報しようかと思って」
_その私の言葉に煮えきらない表情を見せる夏目さん。
「もう少し様子を見てみたら?あとでなんかあると怖いし、最近の子は何するかわかんないから。それに、三月さんに勧めたのは私だから、またなんかあったら相談してくれればいいから。──私たち、友達でしょ?」
_本気で私の話を聞いてくれて、本気で私の心配をしてくれた。それだけで気分が少し楽になったような気がした。
_持つべきものは「フレンズ」ではなく「友」なんだと実感しました。
_ネットの中ではみんな仮面を被っている。それは自分も同じこと。そこでは人と人をつなぐのも切るのもワンクリックだ。でも、私が求めている理想と現実が乖離していく感覚は確かにあった。
_そろそろ私にも「潮時」が来たのだろうと、しばらくサイトを放置して考える日々がつづいた。
_そんな中、それ以上に気がかりなことが私の中で渦巻いていた。
_ショッピングモールのトイレの中で感じた、自慰行為を覗かれていたような気配。それはまるで、暗闇の中で鋭く光る猫目に睨まれているように、先のとがった視線で体を貫かれているような感覚でした。
_それがいったい何なのかわからないまま、季節は運命の冬へと移り変わっていく。
_その日、北からの風が強く吹いて、通りの黄色い落ち葉をすくい上げていた。
_その様子を部屋の窓から見ていた私は、いくつか気持ちの整理をしようと、折りたたんだままの携帯電話を握りしめた。
_まずは、交流サイトにアクセスした。そして、私にしつこく付きまとっていた「ゴールドさん」に別れを告げ、フレンズリストから削除した。
_それから、ブログの更新はこれが最後だという思いで、近いうちに自分がここを退会するという意思をみんなに伝えた。
_そしてもうひとつ、はっきりさせなきゃいけない事がある。
_ノブナガこと千石弘和にまだ伝えていない「答え」を出す時がきたのです。
_千石さんは紳士的で、確かにいい人かもしれない。でもそれは私の妄想にすぎない。一時的な感情に流されてはいけないんだと思いながらも、疑似セックスの先にあるリアルセックスを一度だけでも味わってみたいと思ってしまう。
_この先、夫とのセックスも数えるぐらいしかできないと思うと、女の悦びを知らないまま渇いていく体を想像して、はぁ…とため息をついた。
_その日の夜、私はつまらない事で夫と喧嘩をした。お互い口もきかないまま別々の部屋にこもり、私はある人にメールをしました。
「会いたい」
_千石さんに会いたかった。すると、私の気持ちを察したように、メールはすぐに返ってきた。
「ぼくも会いたい。いつなら会えますか?」
「明日、会いたい」
_そんなに都合良く、すぐ会えないのはわかっていたけど、千石さんからは意外な言葉が返ってきた。
「いいですよ」
_こうして、男と女の密会の約束が交わされたのでした。
_翌朝、夕べの喧嘩のことを口実に、しばらく友達のところに泊めてもらうとだけ告げて、夫と娘を残して私は家を出ました。
──ごめんね。──すぐ帰るから。
そう心の中でつぶやいた。
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