翌週も、香織は1号車を選んだ。
前回の痴漢から数日、警戒を強め、乗車時間をさらに早め、車両を変え、
カバンを盾のように構え、常に周囲を意識して立つ。
それでも、満員電車は容赦ない。
池袋を過ぎたあたりで、再び人波が押し寄せ、
香織の身体は前後の乗客に挟まれる。
そして——
また、あの感触。
後ろから、確信犯のように、
痴漢の手がスカートの上からヒップに触れる。
昨日より大胆に、指が布地を強く押し込み、
割れ目に沿って降りていく。
香織の身体が硬直し、心臓が喉まで跳ね上がる。
(……また……
同じ人……
どうして……避けられないの……?
車両変えたのに……時間変えたのに……
怖い……怖い……
手が……もっと……
スカートの下に……入りそう……
だめ……だめ……
叫びたい……
でも、声が出ない……
周りに人が……
みんな気づかない……
助けて……誰か……
先生……
先生……
助けて……)
痴漢の指が、ストッキングの縁を越え、
太ももの内側を這い上がり、
秘部に近づく。
香織の膝がガクンと崩れそうになり、
涙がこぼれ落ちる。
彼女は必死に身体を捩り、
カバンで後ろを押そうとするが、
満員の中、力が入らない。
指が、さらに奥へ——
その瞬間。
後ろから、強い力が働いた。
痴漢の手首を、誰かがねじり上げた。
「やめろ」
低い、抑えた声。
中年男性の声。
痴漢がびくりと身体を硬直させ、
手が離れる。
香織はよろめきながら振り返る。
そこに立っていたのは——
柳田先生だった。
いや、今はもう「先生」ではない。
学校を辞め、進学塾の講師に転職した柳田。
スーツ姿で、眼鏡をかけ、
髪は少し白髪が混じり、
あの頃よりやつれた顔。
でも、目は変わらない。
香織を見た瞬間、わずかに揺れた。
柳田は痴漢の手首を強く捻り上げ、
低い声で吐き捨てる。
「二度と触るな。
警察に突き出すぞ」
痴漢は痛みに顔を歪め、
人混みに紛れて逃げていく。
柳田は香織の肩を支え、
電車が新宿駅に着くのを待つ。
ドアが開き、人波に押されながら、
二人はホームへ出る。
香織は柳田の腕に凭れかかり、
震える声で呟く。
「……先生……」
柳田は静かに頷き、
彼女をホームの端、柱の影へ連れていく。
人混みから少し離れたところで、
香織の肩を抱き、
低い声で言う。
「……久しぶりだな、香織」
香織の涙が、止まらなくなる。
彼女は柳田の胸に顔を埋め、
震える声で繰り返す。
「……先生……
会いたかった……
怖かった……
毎日……電車で……
怖くて……
先生に……会いたくて……」
柳田は香織の髪を撫で、
静かに息を吐く。
「……俺もだ。
お前を……守れなかった……
あの後、俺は学校を辞めて……
塾の講師になった。
お前のこと、ずっと気にしてた……
今日、たまたまこの電車に乗って……
お前を見つけた瞬間……
また、あの頃の俺に戻った気がした」
香織は柳田の胸にしがみつき、
涙をこぼしながら言う。
「……先生……
私……まだ……先生のもの……
あの熱が……忘れられない……
毎日、先生のこと考えて……
一人で……慰めて……
でも……もう……限界で……」
柳田は香織を抱きしめ、
耳元で囁く。
「……今は……ここじゃ無理だ。
でも……俺は、お前を放っておけない。
今日、仕事終わったら……
俺のところに来い。
新しいアパートがある。
そこで……ゆっくり話そう」
香織は小さく頷き、
涙を拭う。
「……はい……先生……
行きます……」
二人は、ホームで別れる。
香織はオフィスへ、
柳田は塾へ向かう。
しかし、
二人の視線は、
再び交わり始めていた。
香織の心に、
あの熱が、再び灯り始めていた。
満員電車での恐怖は、
今、先生との再会という、
甘く危険な希望に変わりつつあった。
彼女の新しい日常は、
まだ、終わっていない。
いや——
再び、始まろうとしていた。
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