香織は翌朝、いつもより30分早い電車を選んだ。
前日の痴漢の感触が、まだヒップに残っている。
スカートの生地越しに触れられたあのぬるりとした指の記憶が、
夜通し頭の中で繰り返され、眠れなかった。
だから今日は、車両を変えることにした。
いつも乗る5号車ではなく、1号車へ。
新宿方面の快速は、埼京線の中でも比較的空いている先頭車両を選べば、
少しはマシになるかもしれない——そう思って、ホームの端まで歩いた。
電車が到着し、ドアが開く。
予想通り、1号車は5号車より空いている。
香織は一番奥の角に身体を寄せ、壁際に立つ。
カバンを胸の前に抱え、目を閉じて深呼吸する。
イヤホンを耳に差し込み、音楽を流す。
これで、少しは守れるはず——。
しかし、池袋を過ぎたあたりで、電車が急に混み始めた。
新宿手前の急行接続で乗り換え客が殺到し、
香織の周りに人が詰め寄ってくる。
前も後ろも、左右も、身体が密着する。
息苦しい熱気が、再び彼女を包む。
そして——
後ろから、また、あの感触。
最初は、ただの混雑だと思った。
でも、すぐに違う。
誰かの手が、
スカートの生地の上から、ヒップの丸みをゆっくりとなぞる。
昨日と同じ、確かめるような動き。
指先が、布地を軽くつまみ、
曲線をなぞりながら、少しずつ大胆に、
尻の割れ目に沿って降りていく。
香織の身体が、びくりと硬直する。
心臓が喉まで跳ね上がり、
息が止まる。
(……また……
昨日と同じ人……?
どうして……車両変えたのに……
どうして……避けられないの……?
怖い……怖い……
叫びたい……
でも、周りに人が……
みんな見てる……
恥ずかしい……
声が出ない……
手が……もっと……
奥へ……
スカートの下に……入りそう……
だめ……だめだめ……
先生……
先生……
助けて……
あのときみたいに……
守って……
でも、先生はいない……
今は……私だけ……
どうしよう……
身体が……震えて……
熱くなって……
嫌なのに……
昨日の記憶が……蘇って……
下腹部が……疼いて……
私……おかしい……
こんなところで……感じてる……?
最低……最低……
止めて……
誰か……止めて……)
香織は必死に身体を捩り、
カバンで後ろを押そうとする。
でも、満員電車の中、
肘を少し動かしただけで、
周りの乗客から「すみません」と小声で謝られる。
誰も気づかない。
誰も助けてくれない。
痴漢の手は、さらに大胆になる。
指がスカートの裾を軽く持ち上げ、
ストッキング越しに太ももの内側をなぞる。
ゆっくり、確実に、
秘部に近づいていく。
香織の膝が、ガクンと崩れそうになる。
涙が、こぼれそうになるのを、必死に堪える。
周りの乗客は、スマホを見たり、目を閉じたり、
誰も気づかない。
彼女だけが、
この危機的状況に晒されている。
電車が、新宿駅に近づくアナウンスが流れる。
あと少しで到着。
あと少しで、降りられる。
でも、その「少し」が、永遠のように長く感じられる。
痴漢の指が、ついにストッキングの縁に触れ、
さらに奥へ——
香織は、限界だった。
彼女は、震える手で、
カバンの中のスマホを握り、
緊急通報ボタンを押そうとする。
指が震えて、うまく押せない。
涙が、ぽろりと落ちる。
(……もう……だめ……
先生……
助けて……
誰か……
お願い……)
電車が、新宿駅に滑り込む。
ドアが開く音が響く。
乗客が一斉に動き出し、
痴漢の手が、ようやく離れた。
人波に押され、香織はホームへ押し出される。
彼女は、よろめきながらホームに立ち、
壁に凭れかかって、荒い息を繰り返す。
涙が、止まらない。
周りの人々が、忙しなく通り過ぎていく中、
香織は一人、震えながら立っていた。
オフィスへ向かう足取りは、重かった。
今日も、仕事は待っている。
でも、心の奥に、
新たな傷が刻まれた。
香織は、静かに思う。
(……もう……限界かも……
通勤電車……変えなきゃ……
でも、どうやって……
先生……
先生に……会いたい……
あの熱に……溶かされて……
全部、忘れさせてほしい……
でも……もう……
私は、一人で……戦わなきゃ……)
彼女は、深呼吸をして、
オフィスのエレベーターに乗り込んだ。
新しい一日が、始まろうとしていた。
しかし、毎朝の電車は、
これからも、彼女を待ち続けている。
香織の闘いは、まだ終わらない。
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