今から5.6年くらい前の話です。
私は当時23歳でまだ新米教師でした。
私の配属された中学校は田舎の方で、多少の問題児はいても全体的には落ち着いた雰囲気の所でした。
小柄で細身ではありましたが、元々勝気だった私は中学から大学まで柔道をしていた事もあって、担当科目は体育。
そして柔道部の顧問になりました。
顧問として意気込みを持ち望んだのですが、
柔道部員は地域では弱小で、男女併せて全体で6名と団体戦は出れない程少なかったです。
それでも、私自身が中学生の時に小柄なりに県で良い成績をだし、それがきっかけで進路に活路を見いだせた経験があったし、地獄のような練習を共にした部員とは今も絆がありました。
だから、少しでも何かを掴んで欲しいと思い、まだ慣れない教師としての仕事を何とかこなしながら、愛情をもって顧問として指導してきました。
最初こそやる気の無い生徒達も、練習の成果が出始めると、やる気を出して練習に取り組むようになりました。
時には厳しい指導もしましたし、生徒が泣く事もありました。
それでも、私が顧問を初めて3年が経つ頃、生徒達の柔道の成績はとてもよくなり、その影響もあって1.2年生の部員は14名と増えていました。
まさに、これからと言う時に、、、あのコロナ禍に突入しました。
コロナ禍で部活動は中止となり本来なら中学生最後の春の大きな大会も中止となりました。
この年の3年生はA君というとても真面目な子が1人だけ柔道部でした。
私が赴任して柔道部の顧問となった年に1年生だった彼は、同学年に柔道部員が居ない中、先輩達に沢山教えて貰いながら頑張り抜き、そして、先輩達が抜けたあとは1人で後輩達に模範の先輩として背中を見せ続けて来てくれました。
私にとってA君は親心にも似た感情がありました。
A君には最後の試合、、、大会を悔いなく、3年間の総決算として迎えて欲しかったです。
しかし、A君はコロナ禍によって練習の成果を出すことなく部活動を終えることになりました。
私はすごく心が苦しく、どうにもならない現実に涙を流しました。でも、それ以上に悔しく辛い思いをしたのはA君だったと思います。
A君はコロナ禍で部活動が中止となり、大会も中止となった現実に、ぶつけようの無い憎しみを抱いたの思います、
彼は少しづつ非行に走り出しました。
どうせ勉強しても意味ないからと学校をサボったり、学校に顔を出したと思ったらピアスをつけていたり、学生服はだらしない着こなしをしたり、
生徒指導の先生や担任に呼び出しをされてもバックレたり、、
以前の真面目なA君からは想像もできない生活態度となっていきました。
私のいる地域は、都内と比べてもコロナ感染は無い状況、、、それでもいつ学校が閉鎖されて自主学習やオンライン学習に切り替わるのか分からない状況でしたが、もし、オンライン学習に切り替わればA君は絶対に非行の道に更に突き進むという確信もありました。
そして、タイミングの悪い事に夏休みも迫ってきています。この夏休みという長期休みがA君に及ぼす影響、、、。
しかし、確実にその時は迫ってきている。時間はありませんでした。
私自身、ようやく教師としての仕事に慣れ始め、その矢先のコロナ禍で様々な対応に追われ大変な日々が続く状況でしたが、A君の為になにか出来ないかと模索していました。
そして、地域の教育委員会の決定で夏休みが前倒しとなり、例年よりも1週間早く始まる事となりました。
その決定が各学校に降りてきて、朝の職員会議で正式な通達がなされ、私は意を決しました。
夏休みに入る直前、たまたま学校に来ていたA君を捕まえる事ができ、A君に放課後に柔道場に来るように言いました。
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