だいぶ過ごしやすい季節になった。
昼間はそれなりに暖かいのに朝晩は冷え込むようになり、着ていく物を考えるのに頭を悩ませてくれる。
………あなたはいいわね、何も着なくていいから
腕の中で温もりに浸る猫に、語りかける。
夏毛から冬毛になって、ふわふわした触り心地になった。
そろそろベッドから出るのに…えいっ…っと、思い切らないといけない。
少し前まで玲子が起きると朝ご飯を食べたくて、自分を追い越してまでお皿の前で待っていたのに、今はまだ温もりに包まれていたいらしい。
ベッドの中に潜ってしまった。
猫のご飯を用意してトイレを掃除すると、浴室に行って熱いシャワーを浴びた。
毎朝の習慣の身体のチェックをする。
お腹まわりにお肉がついた気がする。
人が見たとしたら、どこが?と言うかもしれないが、気おつけなくては……。
お尻はまだ垂れてない、太腿にも隙間はある。
胸だって張りはあるし、首にシワもない。
顔は若い頃に比べればそれは……それでも同年代の女性に比べたら5、6歳は若く見られる。
化粧水を肌に染み込ませ、保水ジェルで追い打ちをかる。
下着は少し迷って薄いグレーのショーツを手にとり、足を通す。何の飾り気もないが必要以上に隠さず狭すぎず、シンプルなデザインが気に入っている。
揃いのブラジャーもシンプルだが、控えめに曲線を描くカップのデザインが好きだった。
髪の毛を乾かしてブローを施して、薄いメイクで音楽教師の仮面を作り、優しい色のルージュを引いた。
ヌードベージュのパンティストッキングに足を通し、プレストジャケットワンピースを着る。
Vネックが深く胸元に切れ込むデザインは大人の魅力を演出し、玲子の魅力的なボディを惜しげもなく上品に底上げしてくれる。
胸元には控えめなネックレスが素朴さを主張し、玲子のインパクトのある魅力を中和する。柔らかく可憐な雰囲気を漂わせるのに一役かっていた。
コーヒーとトースト、ヨーグルトとバナナの朝食を終えると、出勤時間だ。
猫に行ってくると伝えると、春秋用のパステルグリーンのロングコートを着て玲子は玄関を出た。
混み合う朝の電車はもう慣れたが、未だに好きにはなれない。
玲子の務める学校の生徒たち数人が乗っていた。
クラブ活動の朝練なのだろう、スポーツバックを持っている。
乗り込んできた乗客に押され、玲子の後に流れてきた。
その中の誰かの肩が、揺れに応じて玲子の肩甲骨に触れる。
身体が斜めを向いているのか、お尻の横が玲子のお尻に接触しては離れ、接触する。
あっと思った。
本人は手を当てているだけのつもりだろうけど、明らかに玲子のお尻を包んでいる。
振り向いて注意をするのは簡単だが、その後の彼は学校で針のむしろになるかもしれない。
自業自得と切り捨てるには、酷かもしれない。
そっと手で払いのけるだけに留めた。
だが玲子の気も知らずその手はコートのスリットをかい潜り、ワンピース越しに触れてきた。
これ以上してくるなら、本当に考えなければならない。
触り方から拙さが伝わる。
お尻の柔らかさを確かめるかのように、指先に少しだけ力を込める。
無駄に動かさないので、体温の温かさがいやらしい。
玲子は普段、淫靡な人格を心の部屋に閉じ込めている。
静かな部屋には白い木枠の出窓があり、レースのカーテンがそよ風に揺れている。
窓からはどこかの高原のような景色が見えて、鮮やかな緑の草原が広がっている。
外の景色は明るいのに、部屋の中は暗い。
部屋の中心にはベッドが置かれ、清潔な白い布団に深い眠りに落ちた玲子が寝ていた。
お尻に置かれた手は少しずれては止まり、玲子の逆鱗に触れる手前で立ち止まる。
触り方がソフト過ぎて嫌悪感が湧き上がる前に、天秤が望まぬほうに下がろうとする。
理性と欲求、その比重のバランスを保たなければならない。
腰をづらしてみたが、周りに迷惑なので手を振り落とすには至らない。
体温が上がってきた。
玲子はそんな自分を容認できなくて、下唇を噛んだ。
一度沈み始めた天秤は、水分を吸収したスポンジを載せられたように傾きが深くなっていく。
ベッドに眠るもう一人の゙玲子が寝返りをうった。
その手がついに動きをみせる。
じりじりとワンピースの裾を捲りだしたのだ。
気持ちは焦るのに身体が動かない………もう一人の玲子が目を覚ましてしまった。
受け入れられない、忸怩たる気持ちに理性が焦げて煙が上がる。
あっ…っと思った。
パンティスストッキング越しに、体温を感じていた。
玲子はただ、車窓を流れる外の景色に目を向けていた。
職場の学校に着くと、職員室の自分のディスクでその日の調整と確認、雑務をしてすぐ音楽室に向った。
音楽室の中には壁を隔てて自分用の部屋があり、ディスクに教材を置いて誰もいないトイレに足を向けた。
個室に入ってパンティストッキング、ショーツを降ろす。
割れ目の溝に食い込んでいた生地が、剥がれるようにしてやっと離れる。
透明な糸がツゥ〜っと伸びて、切れた。
ショーツには女性器の形そのままの、恥ずかしい滲みが出来ていて、玲子は溜息が出た。
手を洗いながら鏡を見る。
音楽教師にしては、いささか艶っぽい。
今日の玲子は教師というより、女になっていた。
少し堅く見えるワンピースのせいだろうか。
その理由に思い当たる玲子は、鏡に水を浴びせてやった。
そこに映る玲子の瞳は、淫らな色をしていたのだから。
身体の芯が、火照っていた………。
放課後の音楽室に楽器の音が鳴り響いていた。
体育祭に向けて吹奏楽部の生徒たちが、連日練習に励んでいるのだ。
この子達が社会に出た数年後、一生懸命だったこの日を思い出し、困難に打ち勝って欲しい。
青春を謳歌する彼らを見て、玲子は切に願った。
…………違う!……そこはタイミングをもっと合わせて…いい?……さぁ、もう一回いくわよ!
小一時間みっちり練習をして、解散とした。
………じゃあ机を戻しましょう…
フォーメーションを作るのにスペースを開けなければならず、机をどかす必要があった。
どかすということは、戻す必要もある。
自分の持ち場を片付けた子たち玲子が見ていない隙に、さっさと帰って行く。
明日、あの子たちにはお小言が待っている。
見かねた生徒の一人が残ってくれた。
ーーー玲子先生、みんな薄情だね?……
今日は早く帰んないとテレビドラマ、間に合わないみたいだよ?
………やぁ~ね……明日は菱木くん、そのまま帰っていいわよ?
呆れつつも一人だけ残った彼に、玲子は悪戯っぽく言ってみた。
………あとこれだけ動かすの手伝って呉れるかしら?………それでおしまい!
最後に残った無駄に大きくて重い教壇を指さし、うんざりしたように玲子は言った。
玲子が前で彼が後。なので玲子が後ろ向きで背後に進む形になる。
途中までは順調だった。
バランスを崩した玲子が手を離し、たたらを踏んで尻餅をつく。
いきなり重い教壇から手を離されてつんのめった彼は、教壇の角に腹をぶつけたくなくて横に回避する。
何も触れるものはなく、たたらを踏んで前に倒れてしまった。
玲子に重なる形になった彼の手は、玲子の胸の上だった。
痛みとショックから回復した玲子が状況に気づき、あたふたと後ずさる。
彼も焦って身を起こしたが、玲子の膝が身体を支える彼の腕に当たってしまう。
そんな安っぽいコントのような不可抗力の連鎖が、奇跡的なことに繋がった。
つっかえ棒を外された形になった彼が倒れた先にあったのは、玲子の股間だった。
スッポリとスカートの中に顔が埋まり、2人の動きが止まった。
身を起こそうと後ろに両肘をついて停止した玲子と、暗闇の中で状況を理解した彼。
あまりにも信じられないことが起こると人間は、思考が停止する。
呼吸をしていた。
いや、彼はスカートの中で匂いを嗅いでいた。
異常な状況下で本性が出たのは彼だけではなく、玲子もだった。
淫らな玲子が覚醒したのだ。
身じろぎもせずその恰好のままで、頭を突っ込んだ彼ままの彼をうっとりと玲子は見つめた。
生暖かい彼の息がゾクゾクさせる。
あぁ………欲しい………
身体の欲する声が、理性を麻痺させようと甘く囁く。
彼の手が太腿に触れる………玲子はハッ!っとした。
今朝の電車でのことが蘇ったのだ。
あれは彼……間違いなく菱木だと確信した。
痴漢をする輩はそれぞれの癖がある。
彼の場合は無意識なのだろう、指先だけに力を入れて、感触を確かめるように触るのだ。
玲子は彼の頭を押しのけ、立ち上がる。
彼も立ち上がり、所在なさげにモジモジしている。
朝の犯人が彼だと分かって少なからずショックだったが、責任は取ってもらう。
もうしてはいけないことぐらい、分からない年齢ではない。
………今のはわざとじゃないんでしょ?
先生、黙ってるから………。
そうだ、今日はもう遅いから一緒に帰りましょうか…
彼の返事を聞かず、有無を言わせず玲子は言った。
体温が上昇するのを、玲子は自覚していた。
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