奴隷競り市の時、他の奴隷が手錠を填められ首輪を付けられて引き出されたのに対し、桃子一人だけは後ろ手錠で三角定規木馬に股がった状態でステージに登場した。
そして、次々と女奴隷が競りに掛けられている間、ずっと股間に食い込む木馬の鋭角の背中に苦しみ続けた。
わざと塞がれてない口からは「うっ、ううっ..」とずっと呻き声が流れていた。
口からは呻き声だが、股間からは尿と血と淫液が木馬の背中に黒っぽい染みを着けている。
競り市に来ていた客達は、皆競りに掛けられている女よりも、惨めに苦痛を噛み締めている桃子の方に注意が注がれた。
一時間以上の木馬責めの後、いよいよ桃子の競りが始まった。
競りに参加したお客様に配布されたパンフレットには、桃子のスペックが書き並ばれていた。
それは、わずか15歳の少女が耐えうる苦痛と羞恥と屈辱の限界を越えたものだった。
しかも自らの処刑願望、被食願望を有し、その妄想だけで激しい自虐オナニーに浸ることまで書かれている。
桃子の競りが始まると、予想通り競り値は跳ね上がった。
桃子は自分が皆から値踏みされているのを、薄く目を開けて知りながら、自ら腰を振って淫裂を痛め付けるまでしていた。
結局その日は、この競り市で定められた金額の
限度内では競りが成立せず、一週間後に再び競りが行われた。
この日は上限なしでの競りだったが、競り落としたのは東洋系の外国人だった。
彼は、他人の肉体を責めて喜ぶと言うより、命を奪うこと自体に魅力を感じる性癖で、サディストと言うより殺人狂であった。
それも誰でも死ねば良いと言うのではなく、若く美しい美少年や美少女が、美しくかつ残酷に命を絶たれる事を好んだ。
その点、日本人の切腹は彼の好みに合い、そのせいで彼は時々日本の奴隷競り市に来るのだった。
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