私はいたたまれず、学校を辞めることを望んだ。
しかし、卒業まであとわずかであるということ、私がきっかけを作ったとはいえ「被害者」であるということ、そして何より父の強硬な反対を受け、卒業まで休学という異例の措置を取った。
私は父の単身赴任先である東京に移され、父の監視下で卒業までの日々を過ごすことになった。
私の卒業後の就職先も同じ関東にあったこともその理由だ。
「情けないマネをして、、お前をそんなだらしない女に育てた覚えはない!」
父は、毎日のように私に罵声を浴びせた。
そうじゃないでしょ、、、締め付けて、私をこんな風に育てたのはお母さんとあなたじゃない!
溜まり兼ねた私は、東京に来て数日で、父と口論をするようになった。
部屋に篭り、泣いていた私の携帯に、着信が入る。
ナオトだった。
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