コダマの目的は、ふたつであった。
まず何よりも重要なことは妹、、ヒカリの身を守ることだ。
こちらについては、完璧を期する必要があり、かつ父とコダマの関係に気付かれるわけにもいかない。
次にコダマ自身の身を守ることだが、これは困難であった。
コダマが身を守ることにより、ヒカリの身が危うくなることは避けねばならない。
だが、泥酔した父にされるが儘になっていては、コダマの身が保たない。
妊娠、躯の傷も勿論、ヒカリに知られるリスクも大きい。
コダマは考えた。
父の劣情を解消すれば、如何に泥酔した父と言えども、そうそう狼藉には及ばないのではないか。
事実、最初に襲われて以降、泥酔して帰宅した父が、コダマに対して狼藉に及んだことは昨夜が初めてだ。
勿論、完璧な策ではない。
そもそも父の『劣情を解消する』こと自体が容易ではない。
『劣情を解消する』為には、父の男性機能が復している必要がある。
先ずは、それを確認せねばならない。
だが、その確認の方法が無い。
コダマが身を呈して確認するしかなかった。
父に自分を抱かせるのだ。
絶望的な結論であった。
しかも、これで全てではない。
仮に父がコダマ以外の女性と交わることが可能であったとしても、その実情、頻度を把握することは難しい。
実情を把握出来ないのであれば、対策としては不安材料が多過ぎる。
端からリスクを根絶すること自体が無理な話なのだ。
極限までリスクを減らし、最悪の場合でもそのリスクは自分が負うしかない。
具体的に言えば、コダマは定期的、かつ継続的に父と性行為をすることも止む無しと考えていた。
少なくとも不意に襲われ、無理矢理、犯されることに比べれば、雲泥の差がある。
躯の負担も、その頻度も減るに違いない。
幼い決意を秘め、未だ十四歳の少女は父に己れを抱くように求めるのであった。
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