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自分の意思なのか、それとも誰かに指示されたのか、映像の中の彼女は可愛らしい顔を歪めて自慰行為に耽っている。
片手は服の上から胸をまさぐり、もう片方の手はショーツの中であやしく蠢いている。
「ここに映っている彼女も君とおなじ、どこにでもいる普通の女の子だよ。まあ、合意の上で撮らせてもらったんだけどさ」
私はぞっとした。合意の上だろうが何だろうが、こんなものを所持している時点で気持ち悪い。
「こういうのはどうだろう」
と男はふたたびリモコンを操り、別の動画を私に見せびらかしてきた。
さっきとはまた違ったタイプの女の子が両脚を大きく開き、自らの局部に人工的な異物を挿入している。
それが女性用玩具のバイブレーターだということを私は知っている。サイズもかなりのものだ。彼のオリジナルソフトだから、もちろん無修正である。
女性器の中心を貫く異物は、その乱暴な動きで彼女の体と脳を狂わせていた。
ひい、はあん、ふうん──という熱く甘い吐息も聞こえる。
たぷん、たぷん、とぷん、ちゃぷ、ちゃぷ──と出し入れするたびに粘液がはじけ飛ぶ。
白い糸を引いて、バイブレーターに化粧を施していく。
絶頂してしばらくするとまたすぐに自慰行為を再開し、あっという間に上りつめる。
苦悶の表情の中にも、快感に満たされた笑みを見せる彼女。
彼はこんなふうに次々とスライドショーを繰り返し、私はそこに映った淫らな光景を惨めな思いで見つめていた。
「次は君のオナニーシーンがここに加わるわけだ。わかるよね?」
私は喉の奥で男に怒鳴ってみた。耳の鼓膜がぴりぴりするだけで、やはり声にはならない。
「そういえば、こんなものを拾ったんだけど、見覚えはある?」
そう言って彼は服のポケットから小さなビニール袋を取り出してきて、それを親指と人差し指で摘んでゆらゆらと振った。中には白い布切れのようなものが入っている。
「君の会社の女子トイレ、そこのサニタリーボックスの中に捨てられていたんだ。ここに、君のおりものがべったりと付着しているんだよ」
ほら、ほら、と手にしたそれをどうしても私に見せたいらしい。汚物入りのビニール袋は少し汗をかいている。
「勘違いしないでくれよ。言っておくけど、僕が女子トイレに入って拝借してきたわけじゃない」
と念を押して、
「僕には仲間がいる」
と彼は付け足した。
仲間──。
それはいつも私のそばで息を潜めていたのかもしれない。
仕事の休憩時間にお茶菓子を差し入れてくれたという、他部署のにんげん。
公園のトイレの外で犬に吠えられていた、ちょっと残念な人物。
コーヒーショップに一人でいた、イヤホンの男性客。
私のハンカチを拾ったと主張する、パーカーの青年。
こうやって思い返してみると、怪しい気配はつねに私の背後にいて、堂々と私のプライバシーを盗んでいたのだ。
だめだな、私──。
「僕の仲間が誰だったのか、だいたいの見当はついてるみたいだね。友達は大事だよ。君の親友の歩美ちゃんも、そう言ってたっけ」
電話の盗聴なんて朝飯前なのだろう。私と歩美にしか知り得ない情報を、彼はあっさりとした口調で語り出した。
私は何度も驚き、何度も目をまるくした。
「こんなやりとりも、そろそろ飽きてきたなあ。君の声も聞きたいし、ちょっとだけ自由にしてあげるよ。ただし──」
彼は舌舐めずりをしながらベッドまでやって来て、どこから持ち出したのか、アウトドアにも使えそうな奇形のナイフを手に、私の胴体にまたがるなり、
「──変な気を起こしたときには、レイプだけじゃ済まないからな」
と脅迫してきた。念仏や読経のような低い声だった。
心臓が高鳴る。萎縮するはずのない子宮のあたりが、しくしくと痛む。
男はナイフの刃を私の頬に押し当て、そのまま上を向かせると、口を封じていた粘着テープを一気に引き剥がした。
「うぐっ」
痛いってばもう──。
「その唇、吸い付きたくなるよ。だけど粘着テープのせいで、少しだけ赤く腫れちゃったね。猿ぐつわにしておけば良かったかな」
「……」
「なに?」
「……して……さい」
「よく聞こえないな」
「……ゆるしてください」
私はなんとかそれだけ言うと、ごくりと生唾を飲んだ。
「許すとか許さないとか、そういう話がしたいわけじゃない。これじゃあ僕が君に酷いことをしているみたいじゃないか。心外だね。レイプで気持ちいい思いをするのは加害者だけじゃない。被害者にだって、それなりの充足感をあたえてあげているつもりさ」
「レイプを正当化するなんて……」
「口答えする君もなかなか可愛いね。それにその鼻にかかる声、まじで勃起しそうだよ」
最低な会話だ。こんな目に遭わされる覚えはない。
「どうしてあたしなの?」
「最初に言ったと思うけど、君のことは何でも知っている。仲間にも色々と調べてもらったからね。だけど、ほんとうの目的は別のところにある」
「……それって、……お金?」
私の問いに答える気なんて彼にはないのだと思っていた。
「後で教えてやるから、とりあえず一回、やらせろ!」
男の物凄い形相がすぐ目の前に迫っていた。
殺される──と咄嗟に思った。
「殺さないで!何でもするから、それだけは!」
私は少し大きな声を出していた。
「しい、ずう、かあ、にい、しい、ろ!」
彼の言い回しに殺意を覚え、私はすぐに大人しくした。気に入らないことがあると、言葉遣いが変わるタイプらしい。
彼はナイフを構えた。銀色の牙のような切っ先がこちらを向いている。
私は痛みに備えて目を閉じ、全身を緊張させた。
誰か助けて──。
次の瞬間、痛みとはまったく無関係な出来事が私の身に起こった。手足を拘束していた力が不意に緩むと、全身から緊張が抜けていった。
彼は私の体に切りつけたのではなく、手足の粘着テープを解いてくれたのだ。
「薬の効果はもう消えているんじゃないか?そこに立ってみろ」
と男はベッド脇の床のほうを顎で示した。
言う通りに指先を動かそうとしたら、縛られていたときの痺れがまだ少し残っているのか、なんとか関節が曲がる程度だった。
それでもどうにかベッドの上を這って、カーペットを敷いた床に足を着き、いつの間にか両脚で立てるまでに回復していた。
彼はナイフをちらつかせながら胡座(あぐら)をかいている。
「いいだろう。じゃあ次は服を脱いでもらおうか」
私は頷く代わりに着衣のボタンに指をかけた。爪の先がボタンに当たって、かちかちと鳴っている。私の指は震えていた。
「こう見えても僕は気が短いんだ。早く脱げ」
鋭利な刃が空を切る。
傷を付けられたくない一心で、私はもつれる指を使って上から順番にボタンを外していった。
前をはだけさせて、うつむき加減に服を脱ぎ落とす。
部屋の中が暖かいせいか、体温の変調はほとんど感じられない。
ブラジャーの代わりにカップ付きのインナーを着ていたので、恥ずかしい部分はまだ見られていないはずだった。
「下も脱げ」
と彼の視線は私の下半身を舐めている。
私は一度だけもじもじしてみせたが、それは彼の機嫌を損ねる以外の意味を持たないだろうなと思い直し、履いているゆったりめのジャージパンツを下ろしていった。
足首のあたりまで手で下げたところで、あとは行儀悪く足だけで脱いだ。私のショーツは見世物となった。
「なかなかいい眺めだ。僕に見られる気分はどうだ。興奮するだろう?」
私は前髪をいじりつつ、目を隠す素振りをした。
「恥ずかしいわけがないよな。顔と体には自信があります、って君の顔にちゃんと書いてあるよ」
「……そんなこと」
私は居ても立ってもいられなくなり、露出した肌のあちこちを手でさすったりして気を紛らわせた。
「布一枚きりじゃ落ち着かないか。それとも、ホルモンが騒ぐか?」
「そんな言い方、やめて」
「……口、……胸、……尻、……股、……ぜんぶ犯してやるからな」
下品な言葉を私に浴びせた男は、
「いい物やるから、そこに四つん這いになれ」
と上から命令してきた。
私がそれに従うと、彼もしゃがんで目線の高さを合わせてくる。息がかかるその距離に、私はキスをされると思った。
「煙草」
と彼は言った。
「……え?」
「僕がさっき吸っていた煙草だよ」
「……それが何?」
「ただの煙草だと思うか?」
彼の意図がまったくわからない。
「どういう意味?」
と訊き返しながら、さっき嗅いだ煙にチョコレートのような甘い匂いが混じっていたことを私は思い出していた。
「キラービーだよ」
と男から告げられ、私はますます混乱した。
「脱法ハーブと言ったほうが馴染みがあるか」
「……それってまさか?」
夕べの地下鉄の中吊り広告のことを私は頭に浮かべた。たしか、女子高生レイプ事件のことも書いてあったはずだ。それも彼の仕業なのだろうか。
とりあえずそのことは口にしないでおこうと思った。
「君が賢い女性だということは知っているけど、さすがにハーブについての知識はないだろう。教えてやる」
そう言うと男は人差し指を立てた。
*
つづく
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