【1】
その日も、朝から強い日差しが降り注ぐ暑い日だった。午後になって入った会社からの急な指示で、俺はとある建物に向かった。
そこには、俺の先輩(50を超えたおっさんだが・・・)が俺を待っていた。
「悪いな。急な依頼だったんだが、俺の不自由な体では無理だったから」
(不自由な体・・・?ただ、サボりたいだけだろ)
俺は、そんな言葉を飲み込みいつものように、
「大丈夫ですよ。田中さんは、待っててくれれば良いですから」
と、言い切った。
俺の仕事は、契約先のビルの窓清掃。入社して3ヶ月の俺は、その会社を訪れるのは初めてだった。
「なんでも何ヶ月か、ロビーの内窓を誰も拭いてないそうなんだ。だから、頼むわ」
「分りました」
そういうと、俺はその社の通用口に向かった。守衛に挨拶をし、ロビーに案内された。
そこは、2階までの吹き抜けになっていて、その2階部に相当する窓が清掃されていないそうだった。
ロビーの受付には20代後半と思われる女が一人座って、こちらを疎ましそうに見ていた。
(なんだ、あの軽蔑した目は・・・。それにしても、いい女だなぁ)
薄いブルーのブラウスに紺色のベスト、下は受付台に隠れて分らなかったが、細身の体にその制服は完璧に似合っていた。
肩まであると思われるセミロングの少し茶に染めた髪を、後ろで一括りにし、小さな輪郭に映える大きく普段ならきれいに澄んでいると思われる瞳も、俺を見る目はくすんでいた。そのスタイル、そして真面目そうなその顔つきは、俺の下半身を刺激するのに充分だった。
俺は、運び込んだ脚立を延ばし、窓清掃の準備を始めた。脚立を昇り、2階相当の窓に到達すると、一気に窓を拭きあげた。1枚の窓を拭くと一度下に降り、脚立を移動させ、また昇り・・・、それを数度繰り返し、女のいるロビーには一滴たりとも滴を溢さぬよう気を配りながら、しかし長袖長ズボンの中は汗だくになりながら仕事をやり遂げた。
脚立をたたみ、引き上げるために道具を片付けていると、横目に受付から出てくる女が見えた。
女は、膝上丈の制服のタイトスカートからのびる薄い肌色のパンストに包まれた細い脚で、ニ、三歩俺のほうに歩みよると、
「どうせなら、ブラインドを掃除してくれませんか。窓よりも、ブラインドの埃が気になるんですよ」
(なんだ?その見下した言い方は・・・。しかも作業が終わってから・・・)
そういうと、また受付台に戻って、こちらを無視するように手元の書類の整理を始めた。
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(あぁ~あ、鬱陶しい。どうせ、上に昇るんだったら、ちゃんと全部掃除してよね。これだから、困るのよ)
毎朝、東に向いた窓からは強い日差しが入ってくる。午後は閉めっぱなしにすると暗いから開け閉めするが、その際に降り注ぐ埃が、私には苦痛だった。
(開けたままだと、朝日で日焼けしちゃうし、閉めたままだと午後は暗いし・・・。今、掃除しないで、いつ、誰が掃除するのよ!)
男の強い視線を無視し、その日の来客者の記録の整理を始めた。ロビーには、一度たたまれた脚立を伸ばす音が男の苛立ちを表すかのように大きく響き、また男も音を立てて上に昇って行った。
(煩いわね!・・・)
そう思って見上げた瞬間に、男は一気にブラインドを下ろした。
(ダメッ・・・・!)私がそう思った瞬間、ブラインドに溜まっていた埃がロビー中に舞い上がった。
「あぁ~、もう最悪!」
埃は静かにロビーの床、受付台、そして私にも降り注いだ。床は、毎朝の清掃の方が掃除をするとしても、受付台の上、そして私本人に降り注いだ埃で、私の機嫌は更に悪くなった。
私は、自分の髪や肩に降り注いだ埃を手で払うと、濡れティッシュで受付台の上を拭き始めた。
「埃が舞うことくらい・・・、注意して下さい」
男を見上げながら怒りの一言を投げかけたが、男は意にも介さずにブラインドを掃除し続けている。
(聞こえてないの?)
思わず口に出そうになったが、煩わしさからその言葉を飲み込んだ。
男はブラインドを一通り掃除すると、脚立をたたみ、道具を持って引き上げようとした。
「ちょっと。掃除もろくに出来ないのに、一言ぐらい謝っても良いんじゃないですか?」
男は、その場に道具を置くと、振り返り私に近づいてきた。
(いやっ・・・汗臭い・・・)
私は極度に顔をしかめてしまっていた。
「どうも、申し訳ございませんでした」
男は、通り一遍等の謝罪を述べると、再び道具を手にロビーから通用口に向けて歩き去っていった。
(なんなの、あの態度は!それに、あんなに臭いなんて!何もかも最悪!!)
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俺は守衛に挨拶をすると、田中さんの待つ車に戻り、道具を積み込んだ。
「何、イライラしてんだ?」
「別に。何でもないですよ」
作業時につけている帽子とマスクを外しながら、俺は答えた。
「そんな訳ないだろ」
その田中さんの言葉は、耳には入らなかった。
(あの女、許さねぇ・・・)
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